narrative voyage ~旅と今ここを見つめて

多様な世界を感じるままに。人が大切な記憶とつながっていくために。

この空の向こうに⑫ ~川岸のピアノを聴けるまで

 

昨日は、地元・横浜でも30℃ぐらいに気温が上がった。

朝から困ったことがある。

服が、ない―――

 

正確には、着るものは “ある”のだけど、ノースリーブに近い真夏仕様か、

(今から着たら、きっとこの先の高温に耐えられないか、早々に風邪をひく)、

袖的には良さそうでも素材的には、もわっと感じられたり。

この時期にストレスなく着られる服が、なかった。

 

昨年から断捨離に力が入って、これまでお世話になった夏のアイテムを

半分以下に手放してしまった、というのが大きそうなのだが。

 

そんなわけで、昨日は気温がぐんぐん上がる中、自転車を飛ばして

リーズナブルな日常着を買いに行ったのだった。

 

全国展開の量販店なのだが、特に夏物は例年、頼れる品ぞろえがあり、

昨日もそこで、今年の主力になってくれそうな数枚に出会えた―――

 

洋服を買うことを週末の趣味ぐらいに、楽しくしている人がいる一方で、

服選びというのは、人生の中での選択のトレーニングなんじゃないか、と思う。

 

デザインと素材と予算とで、短い間にものすごい”せめぎあい”がある。

 

それも、その服単体のデザインや色に強くひかれながらも、

この服を着たらこうなるだろうとか、鏡の中の自分をはかろうとする視覚と、

実際、試着してみたときに、素材に対して肌が反応する触覚、

複数枚買おうとする時の脳内での計算———

たいてい服を最初に手に取るときは、デザインや色ありきだけど、

最終的には試着した時のフィット感であったり、触感が結構大事だと

特に断捨離をするようになってから思うようになった。

 

手放した服の半分くらいは、その理由が

「形は好きだけど、着心地がいまひとつ」だったからだ―――

 

どんなに”Cool素材で快適!”とうたわれていても、

自分が数分でも試着してみて、何か違和感がよぎったり、

”結局着なくなったこの服”を想像できてしまったら、買わないのがベストだ。

 

店内でほとんどお客にも店員にも出会わないのをいいことに、

気づいたら2時間も、そんな選択作業をさせてもらい―――

おかげで、その場でいいかも、とピックアップした10着の中から

今回は晴れて、多めの4着とのご縁があったわけだが、

さすがに疲れたらしい。

 

高温多湿の天気も手伝って、昨日から今日の午後まで、頭のへりに

鈍い痛みが居座り続けた。

 

いつもだと、今日はもうこういう日、ぐらいにあきらめてしまうが、

今日の私は15時すぎに立ち上がった。

 

おとなしく頭痛薬を飲むと、サンダルをひっかけて

近くの土手へと散歩に出た―――

昨日よりは雲が厚い空、まぶしさがないのも、良かったのかもしれない。

 

外に出てみると、風は、夏の夕方に向かう時間はこうあってほしいと願うような

さわやかな風だった。

土手にも、真夏日と梅雨空を縫って、平日だがばらばらと人が歩いている。

 

若々しいボーダー柄のシャツを着たおばあさんと、薄いピンクのパーカーを着たおばあさんが、立ち話をしている。

どちらも杖を使って歩いているようだが、話に夢中で杖のことは忘れている。

 

何度か見かけた10歳ぐらいの少年が、今日も全速力で私の隣を駆け抜けていく。

 

土手で多分一番好きな花を、今日も見かけた。

最近見た中でもコンディションが良さそうだ。

 

写真を撮っていると、土手のさらに一段下のスペースで、バク転の練習をする

ジャージ姿の少年たち。

2人で交互に回転するのだけど、軽やかすぎて写真のタイミングにはなかなか合ってくれない。

 

そんな彼らを横切って、山岳救助犬のような大きな犬を連れた女性が、

大きなストライドで進んでいく―――

 

風は相変わらず気持ちいい。

私はといえば、Tシャツとワイドパンツ、サンダル姿で土手を歩いていたけど、

ふと立ち止まった。

音楽があってもいいんじゃないか、と思ったのだ。

 

さっきまで写真を撮っていたスマホで、再生リストを探した。

そう、これだ―――

 

music.youtube.com

 

Didoダイドー)のすりガラスのような声が、向かい風に流れ始める。

 

イヤホンは持ってきていないので、自然と音はスマホから聴こえ続ける。

 

でも、いいかな、と思う。

時々、土手を、アップビートな曲とともに駆けていく週末ランナーや、

ラジオ全開のまま、自転車で走り抜けるおじさんの存在もあるからだ。

 

土手を一段降りて、川沿いに歩いてみる。

Didoインサイド気味な歌声も、土手のこの空の下で聴くとむしろナチュラルに響く。

自分と川の間に茂る木々の、緑の意外な濃さや、忘れた頃にさえずる鳥や

じっと川面を見れば、実はそこで跳ね飛んでいる魚のことを、

思い出させる。

 

再生リストは、そんな彼女に続いて、なかなか開放的でいい感じだった―――

 

music.youtube.com

music.youtube.com

music.youtube.com

 

私は何度もこの土手を歩いているが、ようやくあの、

音楽を鳴らしながら通り抜ける人たちの気持ちが、少しわかったかもしれない。

 

自然、好きな音楽、歩くこと。

考える余地を手放して、このリズムに浸ってみる―――

なかなか素晴らしい、リラックス法なんじゃないか。

 

そろそろ帰ろうと土手のふちに上がってみると、

このソウルフルな選曲には入っていないはずの、

おだやかなピアノの和音が重なって聴こえた。

 

思い切ってスマホ音楽配信をOFFにした。

どちらかというとクラシックなその響きは、

土手の真下にある、小さな白い家から流れてくるようだ―――

 

誰かが真摯に鍵盤に指を広げ、ピアノは丁寧に音を届ける。

少しぎこちないその音は、私が知っていたはずのこの川岸の景色に、真新しく響く。

 

6月の空の下、今ここにしかない流れに、少しの間、耳を澄ませた。

 

 

お題「おすすめのリラックス法」