narrative voyage ~旅と今ここを見つめて

多様な世界を感じるままに。人が大切な記憶とつながっていくために。

話をしたい場所に行ってみる 〜ある日のギャラリーから

私が見たい景色は?誰とどんな景色を?

最近、そんなクエスチョンがよく頭をかすめる。

 

その日は雨だった。

職場のギャラリーは建物の奥にあるため、雨音は聞こえないものの、表の大通りからは、水を飛ばしながら走る車の音がざわざわと感じられていた。

 

朝からの冷気を吸い込んだ空間は、エアコンを入れて時間が経っても、効果がいまひとつなようだった。

 

「傘は、ここに置いていいですかね?」

高齢の男性が扉を押して入ってきた。

 

展覧会DMを握りしめてきた彼に、私は、わざわざ雨の中お出かけくださってありがとうございます、と言った。

 

高齢の男性というにはにこやかで、近所のおじさんの風情もある彼は、

「いや、気になってたんで良かったですよ、来れて」

と言ってくださる。

どことなく柔らかな関西の抑揚が、ほっとさせた。

 

そして来場するなり、彼は、入口で見つけた次回展のDMに釘付けになった。

 

DMを手に取り、その優美な孔雀の絵柄を眺めながら、

「難しいんですよ、鳥はね」と言う。

 

私はひとまず、そうなんですね、と言ってみたが、彼の明るいけれど困った調子に、この後の展開が気になった。

それは手の焼ける子どもを語るような口調で、おそらくマスク下の口元は、うーんとうなっているのではないか。

 

柔和なおじさんを困らせる鳥とは、何か。

 

今、彫刻の作品をつくるために、ある鳥のモチーフを探しているのだが、なかなかこれというものが見つからない。鳥は描くのも、彫るのも、難しいのだ、と言う。

 

鳥といえば、昔飼っていたセキセイインコ。私はその写真を撮ったぐらいしか縁が無く、そうなんですね、とうなずくしかない。

それよりはおじさんがどんな作品を作っているのか、その方向へ話が切り替わるのを待っていた。

 

しかし、彼は本日用に準備したシナリオがあるみたいに、迷いなく続けた。

「いや、ほんとに。撮るのも難しいんですよ、鳥は」

 

資料としての写真を撮るときも、苦労は絶えないそうだ。

 

モデルにしたい鳥が群れをなしている場所があると聞き、望遠レンズをセットして出かけたが、鳥は思ったようにその場に居てくれなかった。

「1秒の間に5回ぐらいは、ピュッピュッピュッと…!軽く動きを変えよるんですよ」

 

「ピュッ、ピュッ、ピュッ、とね」

 

彼は軽やかな擬態語を発しながら、人差し指で、その落ち着きない数十羽の鳥の動きまで表現してくれた。

 

鳥に対して文句をつけているわけではない。

でも彼にとってはちょっと言いたくなる、創作の困りごとで、私はひたすら、そうなんですね、と返した。

 

一瞬ギャラリーの白い空間をかすめた数十羽の鳥たちは、心地よい残像を残しており――― 彼は相変わらず笑顔だった。

 

そんな難しい鳥が、おじさんは好きなのだ。だから探求を止めない。

 

今回たった一点展示されている、鳥の絵画作品を見つめて、少年のように目を輝かせる。

彼のまなざしと話に、私は半ばうらやましさも感じながら、うんうんとうなずき続けた。

 

しばらく経つと、親子連れが「絵、見てもいいですか」とやって来た。

 

おじさんはその姿に反応して、「ほな、私はそろそろ」と、ギャラリーの扉をぐいと押して外へ出た。

 

入れ替わりで入って来た子どもが、早速、一番奥の絵まで駆け寄っていく。

 

気づけばおじさんは、ギャラリーの戸口からほぼ動かずに、話をしていった。ご自身が好きな鳥と、作りたい鳥の作品制作にまつわる話をして帰っていったのだ。

 

でもその表情は、到着時より軽やかで、今日はここに来て正解だった、という充足感で満たされていた。

何ならこれから雨の中、野鳥観察に出かけてしまうのではないか。

 

私は、ひたすら話を興味深く聴くことで、喜んでもらえたのならそれでいいと思ったし、そうか、自分も自分のしたい話をできそうな場所に、行ってみればいいのだ、と思った。

 

自分が見たい景色について、話をできる場所に―――