narrative voyage ~旅と今ここを見つめて

多様な世界を感じるままに。人が大切な記憶とつながっていくために。

新緑の公園で、白い杖のおじいさんと歩いて。

 
先月ガイドヘルパー資格を取ったのは、車椅子の方の支援のためでしたが―――
資格取得という行動に踏み出せた後、不思議な出会いがありました。
 
*****
 
4月もあと数日という、ある日の午後。
 
1ヶ月ぶりに行った公園の色が、一気に緑になっていた。
入口で思わず見上げて写真を撮っていると、公園の中から呼びかけられた。
 
「すいません」
 
声の方向を見ると、おじいさんがこっちを向いて立っている。
私の周りには誰もおらず、明らかに聞かれているのは私だった。
 
「区役所はこの道を行けばいいんでしょうか。ちょっと分からなくなってしまいまして」
 
何か申し訳なさそうな響きを感じて、動いている彼の手元を見ると白い杖が握られている。視覚障害を持ったおじいさんだった。
 
彼が”この道でいいんでしょうか”と示した方向は、公園をどんどん離れようとしていた。区役所を背にして遠ざかっていたのだ。
 
私はあわてて彼の近くへ行き、区役所のある方向を見ながら、
「区役所はあちら側なんです」と指し示した。
おじいさんは 驚いたようだった。
 
「ほう、そうなんですか」
と言いながらそちらへ向き直り、
こりゃ、道理で着かないですな、とつぶやいた。
 
私は「一緒に行きますよ」と言った。
 
「申し訳ないです、いいんですか?」
とおじいさんは言った。
 
私は聞かれてもいないのに、
「この辺りの人間じゃないんですが、今日は近くのクリニックに来てまして」と言った。
 
ちょうど区役所の方向にあるパン屋にいくところだった。
「大丈夫です。同じ方向に行くところなので大丈夫ですよ。一緒に行きましょう」
 
そう声がけして おじいさんと並んで歩き始めた。
 
おじいさんはもう一度、「すいませんね」と言いながら歩き始めた。
 
風薫るような空気。
新緑が眩しい公園だった。
他の人からは、私とおじいさんが普通に散歩しているように見えただろう。
 
路面は、何度も補修が繰り返されたようで思いのほか凹凸があり、道自体も直線距離なら300メートルもなさそうだが、何だかおしゃれに曲がりくねっていた。
 
おじいさんは、白い杖の他には小さなショルダーバッグのみ、という身軽な様子だ。
でもなんとなく体つきも細く、足元もゆっくりだった。
 
こういう時は視覚障害の人に私の腕につかまってもらうのが良い、とされていることをすっかり忘れ、私はおじいさんの手を取って歩いていった。
 
おじいさんは、
「私はもう90ですが、お嬢さんに手伝ってもらって、申し訳ないですね」
と少し笑った。
 
「周りの様子はなんとなく見えてますか?」
 
白い杖をついていても視覚障害のある人の見え方は人それぞれ、と聞いていたので、思い切ってたずねてみたが、おじいさんははっきりと首を振った。
 
「いやあ、見えてないです」
 
それは若干のさびしさもありながら、潔さも感じさせた。
 
「もう90です。戦争もありましたよ」
 
私は、そうなんですね、としか返せなかったが、
歩くごとにおじいさんの記憶はさらに鮮明になるようだった。
 
「このあたりはずっと住んでますけど、昔は焼け野原だったですよ」
 
今日のこの公園は、犬が散歩し子どもたちが走り回り、昼休みのサラリーマンが一休みする、どう見ても普通の地域の憩いの場だ。
 
半分信じがたいけれど、握っているおじいさんの手には変な力が入ることもなく、足取りも止まったりすることはなかった。
 
私は出会って数分で、横浜のとある地域と、一人の人の歴史を聴くことになり、そうなんですね、とひとまず受け止めるより他なかった。
 
「戦争を越えてきてますもんで、花火も怖いです」
とおじいさんは淡々と言い、歩き続けた。
 
とにかく安全に道案内しないと。
そう思って私は、ほとんど前方と自分たちの足元しか見ていなかったが、花火の話には感覚も思考も、ぐいっと持っていかれる感じがした。
 
上空で戦闘機が飛び交った日。
焼け野原になった町。
そして戦後、花火はきっと人々の楽しみだったはずだが―――
 
私が、「そうですよね、それはやっぱり音が怖いですよね」
とあらためて感じた限りを伝えると、おじいさんは何度もうなずいた。
 
この時、私は、戦時中の爆音と花火の破裂音が重なって怖かっただろうと想像したのだが。
おじいさんがすでに当時から視力を失っていたとしたら、音とわずかな光を頼りに、戦争という未知のものと、ひとり戦ってきたのかもしれず―――
 
気づくと私たちの上に、また太陽の光が戻ってきていた。春にしてはまぶしい光だ。
濃い緑の公園を通り抜け、区役所はもう目の前だった。
 
「もう区役所ですよ。入口まで30メートルぐらいです」
 
そうお伝えすると、こんな最後になって、握っていたおじいさんの手が温かく感じられたが、もう目的地到着なのだった。
 
「着きましたよ」
 
おじいさんを建物の中にお連れし、入口で案内していた女性に、後を頼んだ。
 
区役所に着くまで、何度ありがとう、すみませんを繰り返しただろう。
最後、おじいさんは笑顔で、頭を下げながら
「本当に何とお礼を言っていいか」と言った。
 
私は「大丈夫ですよ。じゃあ、お気をつけて」 と言って、少し急ぎ気味に外へ出た。
 
お礼を言いたいのは、私のほうだった―――
 
先日取ったのは車椅子のガイドヘルパー資格だけど、早速こうして案内させてもらう機会をもらった。
案内するまで全く知らなかった、視覚障害のある人の感じ方や、生きてきた道のりを、一人のおじいさんに教えてもらった。
 
こちらこそ、ありがとう、だ。
これからもきっとガイドを通じて、いろんな人に出会っていくことになりそうだ。
 
予定通りパン屋で買い物をした。
さっきの公園にもう一度向かい、木陰だけど明るいベンチを見つけ、買ったパンを広げ、少し遅いランチをする。
 
目の前では、中学生ぐらいの少年たちがバレーボール。遠くには、小さな子どもが乗るブランコが揺れていた。
 

 

車椅子のガイドヘルパー資格を取得しました…!

 
神奈川県の「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」を修了しました…!
昨年は受けようという直前に、コロナになってキャンセル。ようやく一歩前進です。

 

3日間の短期でしたが、ガイドヘルプに関わるサービスや歴史などを学ぶ座学、最終日には車椅子ユーザーと街を移動する外出実習もあり、なかなか盛りだくさんでした。

 

今回受講したガイドヘルパー講座は、全身性障害(上下肢にまひや、全身にわたる機能障害あり)の人のサポートを学ぶもの。

 

講師の中には、障害福祉の現場で働きながら臨床心理士資格を取られた方も。
事故などで足を切断せざるを得なくなった方などの、障害の受容に至る心理プロセスも伺い、今後知っていきたいテーマになりました。

 

 

外出実習で利用した地下鉄。
介助者としての切符の買い方や、電車とエレベーターの乗り降りを実習。

 

 

関内駅前。研修センターの近く。
横浜スタジアムや中華街、山下公園大さん橋
港エリアも車椅子ユーザーさんと出かけてみたい。

 

 

こちらは研修とは直接関係ないですが、村上春樹ライブラリー。
昨年春に来日した車椅子の友人と行ったことが、ガイドヘルパーをやりたくなったきっかけでした。

 

乗り慣れているはずの東京の地下鉄で、エレベーター探しから、駅員さんへのサポート依頼で右往左往。おだやかに見える歩道でも、友人の車椅子を押すと体感する予想外の段差、結果的に歩くことになった長い道。

いろんな想定外に遭遇しながらも、言語を越えた村上ファンである友人が、ライブラリーを訪問でき、心と身体いっぱいに場を味わっている様子に、私も大きな可能性を感じたのでした。

 

施設や病院の環境にわりと慣れているので、障害・病気のある人の日常的な外出支援にも関心はありつつ、こういった文化施設、アートスポット、イベント会場へ行きたい方のヘルプや、海外から来た障害のある方のアテンドも、ぜひやってみたいと思います…!

 

April 2024~ブログ1年、再びめぐる変化から対話の世界へ。

 

ブログ開始から、1年が経ちました…!

ブランクが空きながらも、書けば長文になったりとしてきましたが、凸凹なリズムに付いてきてくださった皆さま、ありがとうございます。

 

自分にとっての、書くこととは

昨年の開始当初は、ちょうど「本当の仕事ワークショップ」を受けたことで、自分がやりたいこととして”書くこと”が浮上。何年もできていなかったブログスタートができたのでした。

 

1年間の執筆、というほど本数的に書けていないのですが、書くことは自分にとって何だろうと考えながらの1年でした。

 

書くことは私にとって、『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』の著者、八木仁平さんも唱えている、”好き・得意・大事”の3要素いずれにもリンクしてくる感じはある。

でも、飛ばして走ってはエンストを起こしたりしてきたので、歩きのペースでもいいから、道に出ることを心掛けてはどうか、と思ったりしています。

 

ブログ2年目は、書くことの習慣化、これができたら楽なのかもしれないです。

 

これからのテーマ予想

ブログのサブタイトル、「~旅と今ここを見つめて」にもあるように、これまでにしてきた旅と現在進行形の旅(日本での暮らし)を書いてきましたが―――

特に今年に入って仕事と家でのストレスが重くなってからは、書く内容も現在の暮らしの比重が大きくなってしまったので、そこは反省点かもしれないなと。

 

幸い、そのストレスに対処するものとして、私はやっぱり“対話”が大切なんじゃないかってことに気づかされた。

 

特に、職場でのコミュニケーション問題はすぐに鎮火できるものではなく、自分の身体反応として出るまでとなり、退職にも至ってしまったのだけど―――

 

対話のある場(ワークショップやオープンダイアローグ講座)に出てみることで、自分に引火してしまった火は、ゆっくりだけど、でも確実におだやかなものとなっていった。

 

そういう効果について、長年、オープンダイアローグを学ばれている先生は、

”人間の可能性”なのかもしれない、と話してくれたのでした。

 

言葉で人を傷つけるのも人間、言葉で人をわかろうとするのも、また人間なのかもしれない。

 

この春いただいた、大事な対話の時間と場。

それを作っているのは何なのか、自分にもそれは広げていけるものなのか―――

 

体感してみるため、今月からオープンダイアローグの連続講座に参加し始めました。

 

また、そこからの気づきについてもきっと書いていくので、2年目にして、このブログも”narrative voyage” (語ることの旅)になっていくのかもしれません。

 

2024年春の旅、この空の下。

皆がそれぞれに感じて、楽しんでいけますように…!

 

 

March Review ~動いてみたら思い出した大切なこと。

 

変わりやすい天気のせいか、最近久々に腰痛発症。

でも先週は、行ってみたかった “ガイドヘルパー相談会”へ―――

 

相談会は、不足しているガイドヘルパーのなり手を募るため、隣町の移動支援事業所さんが開催。

障害のある人たちの外出を支援するガイドヘルパーには、大きく3種類、このような資格がある。

①同行援護従業者(視覚障害ガイドヘルパー
行動援護従事者(知的・精神障害者ガイドヘルパー
③全身性障害者ガイドヘルパー

 

私は②と③が気になっての相談。

②の行動援護は、知的障害のある人だけでなく、精神障害の人の外出支援も可能、ということで、最近関心が出てきた。

③の全身性は、車椅子のユーザーなど身体障害のある人の支援。昨年研修に申込みしながら、コロナで参加できずキャンセルしたままとなっている。

 

今回の相談会を開催された事業所さんでは、利用者層は知的の人がメインで、精神の人もいる、ということ。業界全体としても、②の行動援護のほうが、③の全身性より需要が高いと思われる、とのこと。

 

もし資格を取って仕事をした場合の、外出支援の様子や、外出計画の例、シフトの入れ方、などなど疑問にも細かく答えていただけた。

 

来週末にも、②の行動援護従事者養成研修があるので、よかったら参加してはどうでしょう、3日間で取れますよ、と穏やかにおすすめいただいた。

じゃあ研修を受けます、とは即答できなかったが、来てみて良かった…!
ずっと疑問だった②の資格と仕事について、そのフィールドの人に直に話が聴けてすっきりした。

 

そして、こうして文章にしてみて気づいたことがある。

私が②の研修受講を即決できない理由は、腰痛で長時間の座学が難しいだけではなかった―――

 

身体障害の支援にあたる、③の全身性障害ガイドヘルパーを考える時は、必ず、自分の思い出が伴っていた。

晩年車椅子ユーザーとなった母と祖母の、時々の外出や通院介助をしてきたこと。

来日した車椅子の友人の都内巡りを手伝ったこと。

 

彼女たちの困り事や望み。それを私がすべて解決できたり、実現できたりしたわけではない。

でも、私はひたすら車椅子を押し、目的地に共に行くことで、本人だけでは行かれないかもしれない、でもどうしても行きたい場所、必要な所へ案内することの大切さと充実感を、教えてもらったのだった。

 

人がずっと見たかった景色を自分の目で見に行く、
その手伝いがまたできたら、と思った昨年の春の日―――

あの日は、思いがけない最近の北風で固まった私に、“まだできることがある”と、再び太陽のように呼びかけているのかもしれず。

 

まずは自分の腰痛が治ってからの話になりそうだし、体力勝負の移動支援をどれだけできるか不安もある。これ一本で生計が立つようにも思えないが―――

旅や移動を通して人の希望や願いを叶えていく仕事は、何だか自分にも希望がめぐってくる、循環型の一つかもしれない。

 

ガイドヘルパー相談会では、精神障害のある方々の制作したアクセサリーが販売されていた。

私がこの半年あまりやってきた仕事は終わろうとしており、その仕事も精神の人たちのアート支援だった。次の仕事は何も決めていないが、どうなるだろう。

 

動いてみたらわかったこと、思い出したことがあった3月の昼下がり。

自分らしい色のピアスを迷わず買って、一歩外に踏み出すと、空は来た時よりもずっと明るくなっていた。

 

実際の色はもう少しパープル寄り…!

 

 

Spring 2024~近況と、いまここにあるもの。

 

この春、めぐってきた岐路。


前回2回の投稿のように、仕事自体には出会いや発見が多く―――

アートを通した障害のある人たちの支援事業ということもあり、作家である利用者さんたちとの、日々の交流は言葉で表せないほどのギフトでした。

 

そんな職場で今年に入って露呈した問題が、私にとってなかなか相いれないものと分かりました。

この数ヶ月、気持ちが休まらず、不眠や耳のけいれんなど、自分ではコントロールできないことが起き始めました。

頭では仕事を続けられる方法を模索していたものの、自分の心身はブレーキをかけていたのかもしれません。

 

長い目で見れば、職場の問題も改善に向かうのかもしれない。

(利用者さんたちとの問題ではなかったことは、明記したいと思います)

だけど、それを待つだけ自分自身に踏みとどまる力も、職場の中に踏みとどまらせるものも、正直見つけられず―――

 

それ以上に感じたのは、家でもコミュニケーション問題がある中で、職場でも同様の問題をやり過ごすのは、本来しなくていい“我慢”以外の何物でもない、ということ。

 

私が自分の生活の中で、社会の中であってほしいと願い続けているのは、やはり人と人との対話だから。

その人がその人らしく、自分を表現できる場だから―――

 

つらい時間でしたが、それに気づかせてもらったこの数ヶ月に感謝しつつ、3月末で職場を去ることにしました。

 

いま、ここにあるものは

数年ぶりに戻れて、これからも関わると思っていた、障害のある人たちのアート活動支援。

今の時点では、手術がうまくいかず、心拍数がフラットになってしまった患者のようで―――

 

仕事としてまた障害×アートの世界を探索するか、全く関係ないところに踏み込むかわからないのですが。

学び的なことでやってみたいことはいくつかあるので、楽しんでいけそうなことからやっていければと思います。

 

まずは読書。

本は90%以上、積読の人間ですが、読みたい本に現在の関心とこれからのヒントが詰まっているのではないかと。

 

最近買ったのがこちらの3冊。

 

①「セラピスト」 最相葉月

私には結構手ごわい厚さの本ですが、通りがかりの古書店で、タイトルと装丁デザインに惹かれて購入。

買った当日、新聞に、能登地震での心のケアのあり方について、精神科医中井久夫先生の言葉が掲載されたのですが、寄稿したのがなんと、本書著者の最相さんでした…!

勝手にご縁を感じて、読み進めているところですが、あくなき情熱を持ちながらも冷静さを欠かない、プロフェッショナルな視点と文章に引き込まれます。

 

②「アフガンの息子」 エーリン・ペーション

スウェーデンの難民収容施設で勤め始めた若い職員が出会った、アフガニスタンの少年たちの姿。

北欧の福祉への昔からの憧れと、タリバン復権以降、アフガンの子どもたちが気になりながらも、現地語の勉強もろくに続かなかった反省が入り混じって購入。

ドラゴンタトゥーの女」シリーズの翻訳者、ヘレンハルメ美穂さんによる訳。スウェーデン語は世界での話者数、学習者数が少ないとはいえ、この言語といえばこの人、という存在になっているのはすごい。

 

③「努力をやめるノート」 ジョイ石井

日常のメモやスケジュール帳でも、自分の気持ちがうまく書き出せている気がしないこの頃。

このブログを書くにあたっても、これからの自分を考える上でも、何か書きながら行動に生かしていきたい、と思っていたところ発見しました。

”習慣化”も楽にできたら、本当にありがたく、楽しみな本です。

まずは読まないと、ですね…!

 

 

話をしたい場所に行ってみる 〜ある日のギャラリーから

私が見たい景色は?誰とどんな景色を?

最近、そんなクエスチョンがよく頭をかすめる。

 

その日は雨だった。

職場のギャラリーは建物の奥にあるため、雨音は聞こえないものの、表の大通りからは、水を飛ばしながら走る車の音がざわざわと感じられていた。

 

朝からの冷気を吸い込んだ空間は、エアコンを入れて時間が経っても、効果がいまひとつなようだった。

 

「傘は、ここに置いていいですかね?」

高齢の男性が扉を押して入ってきた。

 

展覧会DMを握りしめてきた彼に、私は、わざわざ雨の中お出かけくださってありがとうございます、と言った。

 

高齢の男性というにはにこやかで、近所のおじさんの風情もある彼は、

「いや、気になってたんで良かったですよ、来れて」

と言ってくださる。

どことなく柔らかな関西の抑揚が、ほっとさせた。

 

そして来場するなり、彼は、入口で見つけた次回展のDMに釘付けになった。

 

DMを手に取り、その優美な孔雀の絵柄を眺めながら、

「難しいんですよ、鳥はね」と言う。

 

私はひとまず、そうなんですね、と言ってみたが、彼の明るいけれど困った調子に、この後の展開が気になった。

それは手の焼ける子どもを語るような口調で、おそらくマスク下の口元は、うーんとうなっているのではないか。

 

柔和なおじさんを困らせる鳥とは、何か。

 

今、彫刻の作品をつくるために、ある鳥のモチーフを探しているのだが、なかなかこれというものが見つからない。鳥は描くのも、彫るのも、難しいのだ、と言う。

 

鳥といえば、昔飼っていたセキセイインコ。私はその写真を撮ったぐらいしか縁が無く、そうなんですね、とうなずくしかない。

それよりはおじさんがどんな作品を作っているのか、その方向へ話が切り替わるのを待っていた。

 

しかし、彼は本日用に準備したシナリオがあるみたいに、迷いなく続けた。

「いや、ほんとに。撮るのも難しいんですよ、鳥は」

 

資料としての写真を撮るときも、苦労は絶えないそうだ。

 

モデルにしたい鳥が群れをなしている場所があると聞き、望遠レンズをセットして出かけたが、鳥は思ったようにその場に居てくれなかった。

「1秒の間に5回ぐらいは、ピュッピュッピュッと…!軽く動きを変えよるんですよ」

 

「ピュッ、ピュッ、ピュッ、とね」

 

彼は軽やかな擬態語を発しながら、人差し指で、その落ち着きない数十羽の鳥の動きまで表現してくれた。

 

鳥に対して文句をつけているわけではない。

でも彼にとってはちょっと言いたくなる、創作の困りごとで、私はひたすら、そうなんですね、と返した。

 

一瞬ギャラリーの白い空間をかすめた数十羽の鳥たちは、心地よい残像を残しており――― 彼は相変わらず笑顔だった。

 

そんな難しい鳥が、おじさんは好きなのだ。だから探求を止めない。

 

今回たった一点展示されている、鳥の絵画作品を見つめて、少年のように目を輝かせる。

彼のまなざしと話に、私は半ばうらやましさも感じながら、うんうんとうなずき続けた。

 

しばらく経つと、親子連れが「絵、見てもいいですか」とやって来た。

 

おじさんはその姿に反応して、「ほな、私はそろそろ」と、ギャラリーの扉をぐいと押して外へ出た。

 

入れ替わりで入って来た子どもが、早速、一番奥の絵まで駆け寄っていく。

 

気づけばおじさんは、ギャラリーの戸口からほぼ動かずに、話をしていった。ご自身が好きな鳥と、作りたい鳥の作品制作にまつわる話をして帰っていったのだ。

 

でもその表情は、到着時より軽やかで、今日はここに来て正解だった、という充足感で満たされていた。

何ならこれから雨の中、野鳥観察に出かけてしまうのではないか。

 

私は、ひたすら話を興味深く聴くことで、喜んでもらえたのならそれでいいと思ったし、そうか、自分も自分のしたい話をできそうな場所に、行ってみればいいのだ、と思った。

 

自分が見たい景色について、話をできる場所に―――

 

 

小さなお客様からのギフト ~ギャラリー仕事で出会うもの

 

仕事場はギャラリー、というと、

たいてい「いいね、素敵だね」という反応が返ってくる。

 

多くの人は、“アート作品に囲まれて、豊かな時間を過ごせている”、“いろんな人に会えて楽しそうな”雰囲気を想像するのではないか。

 

確かにそんなふうに思える日もある。

だけど、自分ひとりで終日誰とも話さずに終わることもあって、それはイコール、誰も来ない日があるということ。

 

特に現在開催中の展覧会のように会期が長いと、スタート当初はやって来たお客さんも、もう次の展示を待っている状態なのだと思う。街で人気の隣の喫茶店を目当てに来た人が、1人2人、たまたま興味を持って入って来てくれればラッキー、ぐらいな客足だ。

 

そんなひっそり終わりがちなギャラリーに、数日前、思いがけないお客様が来た。

 

通りがかりの家族連れだ。

30代ぐらいの男女と、小さな女の子。

 

子どもはまだ4歳ぐらいだろうか。

歩くのは慣れてきたものの、走り出すと転んだりするぐらいの年頃で、両親と思われる二人が静かな表情で見て回るのと対照的に、笑顔でいっぱい。

自分の背丈からは見上げる位置にある絵画作品たちを、きらきらとした目で見つめている。

 

女性が女の子に、「いいな、この絵。ママはこの絵が素敵だと思う。」とつぶやいた。

女の子にも「○○ちゃんは、どれが好き?」と聞いたが、子どもはひたすら笑顔でギャラリーを自分のペースでくるくると歩き回っている。

 

特に疲れた様子も、とりたててはしゃぐ様子も無く、ひたすら気持ちのおもむくままに。

8畳ほどのこのスペースをゆったりと。

いま思うと、わずかに両腕を広げ、その小さな全身をアンテナのようにして、歩き回っていた。作品だけでない、この場の雰囲気を自分の小さな全身で感じ取ろうとするように――—

 

そんな子どもを目の端で見守りながら、男性は入口にあるグッズコーナーで、静かにクリアファイルやノートを手に取り始めた。グッズは所属作家さんたちの絵画作品から、美大出身のスタッフが制作しており、このギャラリーの魅力の一つだ。

 

私が少し説明をと立ち上がりかけると、女性もグッズコーナーにやって来た。

彼女が迷いなく手を伸ばしたのは、壁沿いのポストカードスタンド。

そしてまた、迷いなく、先ほど気に入っていた作品のカードを見つけ、手にした。

「こちら、買っていきます」

 

私は「ありがとうございます」とだけ言って、日頃付け加えているグッズの説明を思いとどまった。

ポストカードを手にした女性の脇に、女の子がいたことに気づいたからだ。

いつの間に見つけたのか、カードを1枚、大切そうに持っている。

 

「○○ちゃんは、それにするのね」

女性がたずねると、女の子はしっかりとうなずいた。

 

小さな指の間から見えたのは、今回の展示作品ではない、鳥の絵だ。

桃色の画面いっぱいに、おしゃれに着飾った鳥たちが描かれている作品のカードで、女の子は部屋の隅にあったこのカードスタンドで、お気に入りの作品に出会ったのだった。

 

「わあ、これ、かわいいですよね。」

私もうれしくなって、その作品が載っているカレンダーを見せた。

女の子は特に何も言わなかったが、丸い頬を赤くして、満足度の高い笑顔でカレンダーの鳥たちを見つめた。

 

カレンダーまで売れることにはならなかったが、女の子は自分のお気に入りの鳥のカードを買ってもらい、家族は「じゃあ、行こうか」とおだやかに、でも少し急ぐようにギャラリーの戸口へ向かった。

彼らはそれほど長くギャラリーにいたのでもないが、グッズを買ったことで、不思議の国のアリスのように意識が少し現実に返ったのかもしれない。

 

私はいつものように「ありがとうございました。お気をつけて」と見送り、重い扉をゆっくり閉めた。

家族は小さくおじぎをして、ゆるやかにガラス戸越しに歩いていく。

でも、その歩みは思ったように進まないようだった。

 

「○○ちゃん、何?どうした?」

なかなか歩いていこうとしない女の子に、女性が少し困ったように話しかける。

 

その様子に、トイレに行きたいのかも、と思い、聞かれたら案内しようと立ち上がると―――

 

「何度もすみません」

女性が再びギャラリーのガラス戸前に立って、申し訳なさそうに私に呼び掛けた。

 

「すみません。この子が、お姉さんにどうしてもこれを見ていただきたいって―――」

彼女は女の子と一緒に戻ってきていた。

 

私に、見せたいもの?

ドアを開けて、初めてその子の目の前に、目線と同じぐらいにかがんでみると、女の子はいきなり自分と私の顔の間に、ふにゃっとしたピンクの布のかたまりを差し出した。

 

彼女は何も言わないが、どう?かわいいよね?と満面の笑顔で私に語りかけている。

 

心持ち後ろに下がってみると、布のかたまりはびっくりするほど派手なピンク色で、タオル地でできた、手足の長いカエルだった。

女の子にとって、自分用の小さなリュックサックから取り出された宝物であり、きっと大切な友だちであり、小さな家族のような存在でもあるのかもしれない。

 

「ありがとう。かわいいね~」とお礼を言って、私は瞬間的にカエルの名前を聞いてみた。

 

女の子はちょっとはずかしそうにママを振り返る。

結局、名前はカエルちゃん、なのだそうだが、初対面の子がこの人に見せたいと思って、わざわざ戻って来てくれたことにじんわりとした感激があった。

 

「ありがとうございました。」

ガラス戸の向こうに子どもが少し走り出し、家族がほっとした様子で表に出ていくのが見えた。

 

今日はギャラリーに居られて良かった。

 

4歳ぐらいの小さなお客様が、ギャラリーにいた私に見せてくれた大切な“友だち”は、

私が昔、旅先で出会い、持ち歩いていたカエルの人形も思い出させる、大切なものだった―――

 

職場のギャラリーではないけど、女の子から見えたサイズ感はきっとこのぐらい―――

 

お題「最近の小さな幸せ」