narrative voyage ~旅と今ここを見つめて

多様な世界を感じるままに。人が大切な記憶とつながっていくために。

March Review ~動いてみたら思い出した大切なこと。

 

変わりやすい天気のせいか、最近久々に腰痛発症。

でも先週は、行ってみたかった “ガイドヘルパー相談会”へ―――

 

相談会は、不足しているガイドヘルパーのなり手を募るため、隣町の移動支援事業所さんが開催。

障害のある人たちの外出を支援するガイドヘルパーには、大きく3種類、このような資格がある。

①同行援護従業者(視覚障害ガイドヘルパー
行動援護従事者(知的・精神障害者ガイドヘルパー
③全身性障害者ガイドヘルパー

 

私は②と③が気になっての相談。

②の行動援護は、知的障害のある人だけでなく、精神障害の人の外出支援も可能、ということで、最近関心が出てきた。

③の全身性は、車椅子のユーザーなど身体障害のある人の支援。昨年研修に申込みしながら、コロナで参加できずキャンセルしたままとなっている。

 

今回の相談会を開催された事業所さんでは、利用者層は知的の人がメインで、精神の人もいる、ということ。業界全体としても、②の行動援護のほうが、③の全身性より需要が高いと思われる、とのこと。

 

もし資格を取って仕事をした場合の、外出支援の様子や、外出計画の例、シフトの入れ方、などなど疑問にも細かく答えていただけた。

 

来週末にも、②の行動援護従事者養成研修があるので、よかったら参加してはどうでしょう、3日間で取れますよ、と穏やかにおすすめいただいた。

じゃあ研修を受けます、とは即答できなかったが、来てみて良かった…!
ずっと疑問だった②の資格と仕事について、そのフィールドの人に直に話が聴けてすっきりした。

 

そして、こうして文章にしてみて気づいたことがある。

私が②の研修受講を即決できない理由は、腰痛で長時間の座学が難しいだけではなかった―――

 

身体障害の支援にあたる、③の全身性障害ガイドヘルパーを考える時は、必ず、自分の思い出が伴っていた。

晩年車椅子ユーザーとなった母と祖母の、時々の外出や通院介助をしてきたこと。

来日した車椅子の友人の都内巡りを手伝ったこと。

 

彼女たちの困り事や望み。それを私がすべて解決できたり、実現できたりしたわけではない。

でも、私はひたすら車椅子を押し、目的地に共に行くことで、本人だけでは行かれないかもしれない、でもどうしても行きたい場所、必要な所へ案内することの大切さと充実感を、教えてもらったのだった。

 

人がずっと見たかった景色を自分の目で見に行く、
その手伝いがまたできたら、と思った昨年の春の日―――

あの日は、思いがけない最近の北風で固まった私に、“まだできることがある”と、再び太陽のように呼びかけているのかもしれず。

 

まずは自分の腰痛が治ってからの話になりそうだし、体力勝負の移動支援をどれだけできるか不安もある。これ一本で生計が立つようにも思えないが―――

旅や移動を通して人の希望や願いを叶えていく仕事は、何だか自分にも希望がめぐってくる、循環型の一つかもしれない。

 

ガイドヘルパー相談会では、精神障害のある方々の制作したアクセサリーが販売されていた。

私がこの半年あまりやってきた仕事は終わろうとしており、その仕事も精神の人たちのアート支援だった。次の仕事は何も決めていないが、どうなるだろう。

 

動いてみたらわかったこと、思い出したことがあった3月の昼下がり。

自分らしい色のピアスを迷わず買って、一歩外に踏み出すと、空は来た時よりもずっと明るくなっていた。

 

実際の色はもう少しパープル寄り…!

 

 

Spring 2024~近況と、いまここにあるもの。

 

この春、めぐってきた岐路。


前回2回の投稿のように、仕事自体には出会いや発見が多く―――

アートを通した障害のある人たちの支援事業ということもあり、作家である利用者さんたちとの、日々の交流は言葉で表せないほどのギフトでした。

 

そんな職場で今年に入って露呈した問題が、私にとってなかなか相いれないものと分かりました。

この数ヶ月、気持ちが休まらず、不眠や耳のけいれんなど、自分ではコントロールできないことが起き始めました。

頭では仕事を続けられる方法を模索していたものの、自分の心身はブレーキをかけていたのかもしれません。

 

長い目で見れば、職場の問題も改善に向かうのかもしれない。

(利用者さんたちとの問題ではなかったことは、明記したいと思います)

だけど、それを待つだけ自分自身に踏みとどまる力も、職場の中に踏みとどまらせるものも、正直見つけられず―――

 

それ以上に感じたのは、家でもコミュニケーション問題がある中で、職場でも同様の問題をやり過ごすのは、本来しなくていい“我慢”以外の何物でもない、ということ。

 

私が自分の生活の中で、社会の中であってほしいと願い続けているのは、やはり人と人との対話だから。

その人がその人らしく、自分を表現できる場だから―――

 

つらい時間でしたが、それに気づかせてもらったこの数ヶ月に感謝しつつ、3月末で職場を去ることにしました。

 

いま、ここにあるものは

数年ぶりに戻れて、これからも関わると思っていた、障害のある人たちのアート活動支援。

今の時点では、手術がうまくいかず、心拍数がフラットになってしまった患者のようで―――

 

仕事としてまた障害×アートの世界を探索するか、全く関係ないところに踏み込むかわからないのですが。

学び的なことでやってみたいことはいくつかあるので、楽しんでいけそうなことからやっていければと思います。

 

まずは読書。

本は90%以上、積読の人間ですが、読みたい本に現在の関心とこれからのヒントが詰まっているのではないかと。

 

最近買ったのがこちらの3冊。

 

①「セラピスト」 最相葉月

私には結構手ごわい厚さの本ですが、通りがかりの古書店で、タイトルと装丁デザインに惹かれて購入。

買った当日、新聞に、能登地震での心のケアのあり方について、精神科医中井久夫先生の言葉が掲載されたのですが、寄稿したのがなんと、本書著者の最相さんでした…!

勝手にご縁を感じて、読み進めているところですが、あくなき情熱を持ちながらも冷静さを欠かない、プロフェッショナルな視点と文章に引き込まれます。

 

②「アフガンの息子」 エーリン・ペーション

スウェーデンの難民収容施設で勤め始めた若い職員が出会った、アフガニスタンの少年たちの姿。

北欧の福祉への昔からの憧れと、タリバン復権以降、アフガンの子どもたちが気になりながらも、現地語の勉強もろくに続かなかった反省が入り混じって購入。

ドラゴンタトゥーの女」シリーズの翻訳者、ヘレンハルメ美穂さんによる訳。スウェーデン語は世界での話者数、学習者数が少ないとはいえ、この言語といえばこの人、という存在になっているのはすごい。

 

③「努力をやめるノート」 ジョイ石井

日常のメモやスケジュール帳でも、自分の気持ちがうまく書き出せている気がしないこの頃。

このブログを書くにあたっても、これからの自分を考える上でも、何か書きながら行動に生かしていきたい、と思っていたところ発見しました。

”習慣化”も楽にできたら、本当にありがたく、楽しみな本です。

まずは読まないと、ですね…!

 

 

話をしたい場所に行ってみる 〜ある日のギャラリーから

私が見たい景色は?誰とどんな景色を?

最近、そんなクエスチョンがよく頭をかすめる。

 

その日は雨だった。

職場のギャラリーは建物の奥にあるため、雨音は聞こえないものの、表の大通りからは、水を飛ばしながら走る車の音がざわざわと感じられていた。

 

朝からの冷気を吸い込んだ空間は、エアコンを入れて時間が経っても、効果がいまひとつなようだった。

 

「傘は、ここに置いていいですかね?」

高齢の男性が扉を押して入ってきた。

 

展覧会DMを握りしめてきた彼に、私は、わざわざ雨の中お出かけくださってありがとうございます、と言った。

 

高齢の男性というにはにこやかで、近所のおじさんの風情もある彼は、

「いや、気になってたんで良かったですよ、来れて」

と言ってくださる。

どことなく柔らかな関西の抑揚が、ほっとさせた。

 

そして来場するなり、彼は、入口で見つけた次回展のDMに釘付けになった。

 

DMを手に取り、その優美な孔雀の絵柄を眺めながら、

「難しいんですよ、鳥はね」と言う。

 

私はひとまず、そうなんですね、と言ってみたが、彼の明るいけれど困った調子に、この後の展開が気になった。

それは手の焼ける子どもを語るような口調で、おそらくマスク下の口元は、うーんとうなっているのではないか。

 

柔和なおじさんを困らせる鳥とは、何か。

 

今、彫刻の作品をつくるために、ある鳥のモチーフを探しているのだが、なかなかこれというものが見つからない。鳥は描くのも、彫るのも、難しいのだ、と言う。

 

鳥といえば、昔飼っていたセキセイインコ。私はその写真を撮ったぐらいしか縁が無く、そうなんですね、とうなずくしかない。

それよりはおじさんがどんな作品を作っているのか、その方向へ話が切り替わるのを待っていた。

 

しかし、彼は本日用に準備したシナリオがあるみたいに、迷いなく続けた。

「いや、ほんとに。撮るのも難しいんですよ、鳥は」

 

資料としての写真を撮るときも、苦労は絶えないそうだ。

 

モデルにしたい鳥が群れをなしている場所があると聞き、望遠レンズをセットして出かけたが、鳥は思ったようにその場に居てくれなかった。

「1秒の間に5回ぐらいは、ピュッピュッピュッと…!軽く動きを変えよるんですよ」

 

「ピュッ、ピュッ、ピュッ、とね」

 

彼は軽やかな擬態語を発しながら、人差し指で、その落ち着きない数十羽の鳥の動きまで表現してくれた。

 

鳥に対して文句をつけているわけではない。

でも彼にとってはちょっと言いたくなる、創作の困りごとで、私はひたすら、そうなんですね、と返した。

 

一瞬ギャラリーの白い空間をかすめた数十羽の鳥たちは、心地よい残像を残しており――― 彼は相変わらず笑顔だった。

 

そんな難しい鳥が、おじさんは好きなのだ。だから探求を止めない。

 

今回たった一点展示されている、鳥の絵画作品を見つめて、少年のように目を輝かせる。

彼のまなざしと話に、私は半ばうらやましさも感じながら、うんうんとうなずき続けた。

 

しばらく経つと、親子連れが「絵、見てもいいですか」とやって来た。

 

おじさんはその姿に反応して、「ほな、私はそろそろ」と、ギャラリーの扉をぐいと押して外へ出た。

 

入れ替わりで入って来た子どもが、早速、一番奥の絵まで駆け寄っていく。

 

気づけばおじさんは、ギャラリーの戸口からほぼ動かずに、話をしていった。ご自身が好きな鳥と、作りたい鳥の作品制作にまつわる話をして帰っていったのだ。

 

でもその表情は、到着時より軽やかで、今日はここに来て正解だった、という充足感で満たされていた。

何ならこれから雨の中、野鳥観察に出かけてしまうのではないか。

 

私は、ひたすら話を興味深く聴くことで、喜んでもらえたのならそれでいいと思ったし、そうか、自分も自分のしたい話をできそうな場所に、行ってみればいいのだ、と思った。

 

自分が見たい景色について、話をできる場所に―――

 

 

小さなお客様からのギフト ~ギャラリー仕事で出会うもの

 

仕事場はギャラリー、というと、

たいてい「いいね、素敵だね」という反応が返ってくる。

 

多くの人は、“アート作品に囲まれて、豊かな時間を過ごせている”、“いろんな人に会えて楽しそうな”雰囲気を想像するのではないか。

 

確かにそんなふうに思える日もある。

だけど、自分ひとりで終日誰とも話さずに終わることもあって、それはイコール、誰も来ない日があるということ。

 

特に現在開催中の展覧会のように会期が長いと、スタート当初はやって来たお客さんも、もう次の展示を待っている状態なのだと思う。街で人気の隣の喫茶店を目当てに来た人が、1人2人、たまたま興味を持って入って来てくれればラッキー、ぐらいな客足だ。

 

そんなひっそり終わりがちなギャラリーに、数日前、思いがけないお客様が来た。

 

通りがかりの家族連れだ。

30代ぐらいの男女と、小さな女の子。

 

子どもはまだ4歳ぐらいだろうか。

歩くのは慣れてきたものの、走り出すと転んだりするぐらいの年頃で、両親と思われる二人が静かな表情で見て回るのと対照的に、笑顔でいっぱい。

自分の背丈からは見上げる位置にある絵画作品たちを、きらきらとした目で見つめている。

 

女性が女の子に、「いいな、この絵。ママはこの絵が素敵だと思う。」とつぶやいた。

女の子にも「○○ちゃんは、どれが好き?」と聞いたが、子どもはひたすら笑顔でギャラリーを自分のペースでくるくると歩き回っている。

 

特に疲れた様子も、とりたててはしゃぐ様子も無く、ひたすら気持ちのおもむくままに。

8畳ほどのこのスペースをゆったりと。

いま思うと、わずかに両腕を広げ、その小さな全身をアンテナのようにして、歩き回っていた。作品だけでない、この場の雰囲気を自分の小さな全身で感じ取ろうとするように――—

 

そんな子どもを目の端で見守りながら、男性は入口にあるグッズコーナーで、静かにクリアファイルやノートを手に取り始めた。グッズは所属作家さんたちの絵画作品から、美大出身のスタッフが制作しており、このギャラリーの魅力の一つだ。

 

私が少し説明をと立ち上がりかけると、女性もグッズコーナーにやって来た。

彼女が迷いなく手を伸ばしたのは、壁沿いのポストカードスタンド。

そしてまた、迷いなく、先ほど気に入っていた作品のカードを見つけ、手にした。

「こちら、買っていきます」

 

私は「ありがとうございます」とだけ言って、日頃付け加えているグッズの説明を思いとどまった。

ポストカードを手にした女性の脇に、女の子がいたことに気づいたからだ。

いつの間に見つけたのか、カードを1枚、大切そうに持っている。

 

「○○ちゃんは、それにするのね」

女性がたずねると、女の子はしっかりとうなずいた。

 

小さな指の間から見えたのは、今回の展示作品ではない、鳥の絵だ。

桃色の画面いっぱいに、おしゃれに着飾った鳥たちが描かれている作品のカードで、女の子は部屋の隅にあったこのカードスタンドで、お気に入りの作品に出会ったのだった。

 

「わあ、これ、かわいいですよね。」

私もうれしくなって、その作品が載っているカレンダーを見せた。

女の子は特に何も言わなかったが、丸い頬を赤くして、満足度の高い笑顔でカレンダーの鳥たちを見つめた。

 

カレンダーまで売れることにはならなかったが、女の子は自分のお気に入りの鳥のカードを買ってもらい、家族は「じゃあ、行こうか」とおだやかに、でも少し急ぐようにギャラリーの戸口へ向かった。

彼らはそれほど長くギャラリーにいたのでもないが、グッズを買ったことで、不思議の国のアリスのように意識が少し現実に返ったのかもしれない。

 

私はいつものように「ありがとうございました。お気をつけて」と見送り、重い扉をゆっくり閉めた。

家族は小さくおじぎをして、ゆるやかにガラス戸越しに歩いていく。

でも、その歩みは思ったように進まないようだった。

 

「○○ちゃん、何?どうした?」

なかなか歩いていこうとしない女の子に、女性が少し困ったように話しかける。

 

その様子に、トイレに行きたいのかも、と思い、聞かれたら案内しようと立ち上がると―――

 

「何度もすみません」

女性が再びギャラリーのガラス戸前に立って、申し訳なさそうに私に呼び掛けた。

 

「すみません。この子が、お姉さんにどうしてもこれを見ていただきたいって―――」

彼女は女の子と一緒に戻ってきていた。

 

私に、見せたいもの?

ドアを開けて、初めてその子の目の前に、目線と同じぐらいにかがんでみると、女の子はいきなり自分と私の顔の間に、ふにゃっとしたピンクの布のかたまりを差し出した。

 

彼女は何も言わないが、どう?かわいいよね?と満面の笑顔で私に語りかけている。

 

心持ち後ろに下がってみると、布のかたまりはびっくりするほど派手なピンク色で、タオル地でできた、手足の長いカエルだった。

女の子にとって、自分用の小さなリュックサックから取り出された宝物であり、きっと大切な友だちであり、小さな家族のような存在でもあるのかもしれない。

 

「ありがとう。かわいいね~」とお礼を言って、私は瞬間的にカエルの名前を聞いてみた。

 

女の子はちょっとはずかしそうにママを振り返る。

結局、名前はカエルちゃん、なのだそうだが、初対面の子がこの人に見せたいと思って、わざわざ戻って来てくれたことにじんわりとした感激があった。

 

「ありがとうございました。」

ガラス戸の向こうに子どもが少し走り出し、家族がほっとした様子で表に出ていくのが見えた。

 

今日はギャラリーに居られて良かった。

 

4歳ぐらいの小さなお客様が、ギャラリーにいた私に見せてくれた大切な“友だち”は、

私が昔、旅先で出会い、持ち歩いていたカエルの人形も思い出させる、大切なものだった―――

 

職場のギャラリーではないけど、女の子から見えたサイズ感はきっとこのぐらい―――

 

お題「最近の小さな幸せ」

 

2024年、起きてようやく始まった。〜ブログを書く会に初参加

*いつもこのページにお立ち寄りくださっている方へ*

お久しぶりになってしまいましたが、2024年いかがお過ごしですか?

数ヶ月でいろいろあり、重めな書き出しになりましたが、オンラインコミュニティでブログを書くことができたので、投稿します。

これを機に、また書いていけると良いなと思っています。よろしくお願いします。

2024年寒明

narrative voyage

 

―――――――

今年もすでに2ヶ月目。

2月の風物詩となった恵方巻も過ぎ去り、街はバレンタインの広告であふれ、3月の雛祭りや卒業シーズンに向けて動いているのだ、と感じるこの頃。

 

私はといえば、昨年秋からブログ投稿が止まってしまい、書きたいものはありながら、新年も職場と家でのストレスがたまる一方となってしまっていた。

 

それと並行して膨らんできた問題がある。

“朝” が嫌になってきたのだ―――

 

“それでも朝は来る、知らぬ顔で”

そんな歌詞が昔あった気がするが、本当に朝は来てしまう。人の気持ちや体調も知らぬ顔で、朝はめぐってくる。

 

特に仕事でしんどく感じることがあったり、疲れると、職場から家にまっすぐ帰れない。

友達と会ったり、買い物するような気力も出ず、カフェでぐったりSNSを眺めたり、暗くて寒いのは承知の上で、好きな海辺に行っては余計に疲れたり。

 

当然の流れで、帰宅は遅くなり、翌朝は起きられない。

一日の中でも明るくて気持ちがいいはずの朝が、どんどん嫌になっていく。

 

正確に言うと、朝、起きられないのだが、目覚めはしている。

仕事のある日と同じ時間か、それより少し遅いかぐらいで目が覚める時間がある。でも、今日の一日をまた思うと、気が重くなり、また布団にもぐってしまう。

 

やっと8時過ぎか遅いと9時。

起き出した頃には、頭も身体も重さを増している。

冬でも陽ざしが出てくる時間なのに、自分だけ夜の闇に囲まれたままのようだ。

 

朝食を作るのだが、これが、不機嫌を絵に描いたような父との無言の食事になることも気が重い。

食事を片付けると、もう昼近く―――

本当にどんどん朝が嫌になり、日々を変えられない自分も嫌になっていく。

 

ある朝、目覚めた時、頭をよぎったのが「最悪」という言葉で―――

朝の自分に対するその言葉は、昨日からもおとといからも、もっと言えば昨年からも変わっていない気がする。

 

そんな繰り返しで、この新年2ヶ月が過ぎようとしていた。

何か変えなければ。

 

焦りばかりが続いていた私が今年、一つだけ始められたことがある。

京都のライターさんが開催されている、オンラインサロンのメンバーになったのだ。

 

先月、初めて談話会に参加。

主宰のライターさんのやわらかで、自然体な場づくりにほっとした。

そこに全国からオンライン上に集まる皆さん。

書くことのプロフェッショナルから、私のようなブログで日々を綴る人たちまで多様だが、文章を通して伝えていきたいし、交流していきたい気持ちが、温かく流れていた。

 

談話会と勉強会のほかに、オンラインサロンで参加できる定例イベントが、月2回の“ブログを書く会”だ。

 

いずれも日程的には、1月も参加できるはずだった。

だけど自分にとっての大きな壁は―――

“ブログを書く会”のスタート時間。

朝9時は、最近の私がよろよろと起きてきて、朝食をしぶしぶ作っている時間なのだ。

 

新年からブログを再開させよう、きっかけとなるはずのイベントだから、頑張って起きてみよう。

2024年の新しい習慣として決意したのに、いざ仕事が始まると、またいつもの調子の、起きない自分になった。

1月は2回とも参加を見送ることになってしまった。

 

そして2月第一回の開催日は、9日。

 

前日の8日は仕事で、見事に遅く帰り、遅く寝てのサイクルにはまってしまったが―――

当日の今日は、7時半に目が覚めた。

 

“ブログを書く会”スタートの9時には、間に合わないかもしれない。

だけど、ここで起き上がればいつもと違う一日になる。

少なくとも、いつもと違う朝になる。

 

そんな思いで、2階の温かい布団から飛び出し、1階の冷え切ったフロアに降り立った。

朝のシャワーから朝食づくりを躊躇なくやっていくと、行けるかもしれないという気分になった。

 

オンラインサロンだからどこへも行く必要はないのだが。

でも、今日は大丈夫———

いつもより少し早起きしただけで、“行ける”気がした。

 

仕事以外で、朝9時という時間にまともに外の人と話せるかも、分からなかったが、会に参加すれば数ヶ月ぶりに書くことになる、ブログのテーマも、朝食のキャベツを切りながら思いついた。

 

そして、実際に朝9時。

私は時間通りにZoomにつないで、ついにブログを書く会に“行けた!”のだった。

主宰のライターさんと、メンバーの方々にお会いできただけでも、何だか都心の待ち合わせで会えたかのようなうれしさがあった。

 

1時間の開催の中で、挨拶後それぞれが書く時間が25分間。

その後、文章を画面共有してお互いに読みあう。

 

短い時間でどれぐらい書けるんだろう、話せるんだろう、というぼんやりした疑問も、朝から自分は大丈夫だろうかという不安も、気づいたら消えていた。

大事なのは、今ここで文章を書いている皆と自分―――

 

時間的に書ける長さは限られるが、文章から伝わってくる人それぞれの環境も、活動自体も興味深い。

文章以外にも素敵な作品を見せていただいたり、思いがけず美容の専門知識的なことも知ることになったり。

 

伝えようとするものがどうしたらより伝わるのか、皆で考える場面も生まれたりした。

 

朝の1時間が、感心と笑顔できらきらと満ち足りていった。

私が書いたのは、思い切って朝起きて今日の会に参加できたという、この話なのだが、

「投稿したら教えてくださいね」と言っていただき、うれしかった。

 

オンラインを終えて、手元に用意していたホットミルクの存在を思い出した。

朝は久しぶりに、部屋いっぱいに明るさを取り戻していたーーー

 

 

 

この空の向こうに⑮ ~大相撲と秋の空、コピー機で子どもと。

今回は、少し長めの日記的なものになりそうです―――

 

絶対的な行楽日和

 

ようやく地元にも、秋らしい、からっと晴れた日到来のこの頃。

 

特に昨日、月曜日は、太陽も出てくることを約束しながら、

一日涼しい予感というのが、朝から見て取れるような

素晴らしいさわやかさがあった。

 

自分の休日である月曜は、結構疲れを感じてがっつり休みモード

というのがお決まりなのだけど―――

 

週末の鎌倉仕事も、良い汗かけた感じで、

(ギャラリー仕事だから、目立って汗かくようなことはないのだが、

おかげさまで新しく始まった個展が盛況。お客様が絶えなかった…!)

月曜になっても、何だか心身どこへでも出かけられそうな

元気さがあった。

 

そしてこの、行楽日和的な秋の晴天。

もう出かけるしかないよ、と週初めから珍しく、

いろんな行先を考え始めた―――

 

しかし、10時頃。

やはり笑顔で外出しようとしている妹が聞いてきた。

「相撲はもう観たの?」

そういえば、特に今場所は極力観るようにしてきた“大相撲”が

自分は13日目で止まってしまってたことに、気づいた。

 

仕事だった土日は、結果も見ないように頑張ってきたというのに、

これであっさり出かけては、街なかでうっかり優勝力士を

知ってしまう。

 

ということで、昼から出かけることを目標に、NHKの見逃し配信を視聴…!

 

自分なりに効率よく観ることを心掛けたはずなのだが、

さすが15日間の場所のフィナーレである、14日目と千秋楽。

21歳の熱海富士が再び先頭に立つと、大関としてたった一人

優勝争いに残った貴景勝も、踏ん張りを見せる。

 

そこへまさかの、4人の4敗勢までが最終日に優勝の可能性を

持ち始め―――

 

結果は、特に初めて人生の大舞台に立つ熱海富士にとって

ほろ苦いものになったが、

何を言われようと、大関としての責務を果たそうとした、貴景勝の覚悟、

大関の重圧を気迫で跳ねのけ、勝ち越した豊昇龍にも心震えた。

 

曇り空の昼下がり

 

そして配信を見終えたのは、14時過ぎ―――

力士たちに心の中の拍手を送り続けながら、出かける前にランチでも

と台所へ行ったのがまずかった。

ちょうど昼に食べるものを探しに来た父と、出くわしてしまった。

 

「何か作ってくれないか」

と一言残して、父は部屋へ去った。

 

もちろんその場で断ることは可能だった。

正直、自分が朝晩の食事をつくるのも勘弁してくれ、と思っていて

そこに昼が何のてらいもなく追加されることに、

父に対して「何言ってんだ、この人」ぐらいなテロップが頭の中に流れていた。

 

でも、それを説明するのが面倒で、冷凍庫と冷蔵庫から

牛丼になりそうなものを適当に鍋に流し込んで、15分ほどで完成させた。

 

そしてもやもやしながら、自分の昼ご飯を食べ終えた頃には、

もう「”出かける”ってどこへ?」みたいな気分と時間になっていた。

 

時間と家族の困ったループに、はまってしまったな、と思うと

せっかくの大相撲の感動も、さーっと潮の流れのように引いていく感じがした。

 

こんな時は、夕方が来るのが早い。

降参したように、しばしスマホを眺めたりしていたが、

ふいに、先日職場で付けてしまった服のシミ

(絵の具のようだが、洗っても落ちなかった)を思い出し、

クリーニング屋へ持っていくことにした。

 

外は思いのほか、落ち着いた夕暮れだった。

最近取り壊しのあった区画の向こう側に

個性的な絵みたいな光と雲が、きれいに広がっている。

 

写真を撮っていると、

「どこ行くの?」とおじさんの声がした。

 

父だった。

サンダルをつっかけて、買い物袋を提げている。

昼ご飯を終えてから、どうも近所の店に行ってきたらしい。

 

悪い予感がした。この人が話しかけてくる時は、たいてい何か用件がある。

「頼みがあるんだけどさ」

と、予想に漏れず切り出す父。

 

コピーを取ってきてほしい、ということだったが、

原稿は手元にないようで、すたすた家のほうへ歩き出す。

一息吐いて、私も歩き出す。

今日はこういう日だ―――

 

カラーコピーができるまで

 

家で原稿を渡されてから、また出直した。

空が暮れていく直前の、最大限の明るさと、やっぱり流れる秋の風。

その中を、余計なことは考えないようにさくさくと歩いた。

 

クリーニング屋に寄ってから、ドラッグストアへ向かった。

忘れないうちにコピーを済ませてから、買い物しようと―――

 

コピー機は店の入口にあるのに目立たず、誰も使っていなかった。

10円を入れると、なぜかそのままお釣り口へ落ちていった。

 

仕方なく10円を取ろうとすると、そこには20円余分に入っていた。

誰か前に使用した人が、お釣りを忘れたのだ。

 

周りを見回したが、買い物して出てくる人ばかりだ。

誰かが取りに戻ってくるかも。

父に頼まれたコピーをしながら、そわそわと待ってみたが、

誰も来る様子がない。

 

買い物をしてから、レジの店員に20円を預けておこうか。

しかし、いざ買い物を始めると、その小銭の存在をあっという間に

忘れてしまった。

 

そして買い物を終えて店を出る時に、コピー機を渋い顔で見つめる

少年に気づいた―――

 

もしや、20円を探していたのだろうか。

 

でも、彼はいまコピー機を使っている最中で、

動かない液晶の操作画面を、眉を寄せてじっと見ているのだった。

 

「どうした?大丈夫?」

私はこの子が釣銭を探しに来たのではなさそうなことに、

少しほっとしながら、声をかけた。

 

「うーん、わかんないんだよぉ」

やっとコピー機の画面に背が届くぐらいの少年は、

画面を見つめながら、半分やけになったような声を出した。

 

「カラーコピーしたいのに…」

画面には、カラーか、白黒かを選択するボタンが出ている。

だけどカラーが選択できないようだ。

 

「あれ、おかしいね」と私が言うと、

「お金が…」と少年がつぶやく。

 

「お金が…たぶん…足りない」

恥ずかしそうに、残念そうに彼はうつむいた。

 

10円は入れているが、カラーコピーするにはあと10円必要だった。

「もういいや、カラーじゃなくて」

 

私の中で、その時、ぱっと灯りが点いた気がした。

小さな豆電球かもしれないが、とても明るい光のような。

 

「オッケー、カラーコピーだね。もう一回始めからセットしてみようか」

私はたぶん今日一番明るい声で、少年に呼び掛けた。

 

彼は少し驚いたようだったが、この大人に頼ってみようと思ってくれたみたいだ。

私の言うように、一度終了を押して、10円を機械から取り出した。

 

「オッケー、じゃあ、あと10円。おねえさんがプレゼントするね」

私はポケットから、前のコピー客が忘れていった20円のうち10円を、

少年に渡した。

 

誰かが忘れたお金を、恩着せがましくプレゼント?

でも、一心にコピー機に向かっている少年を前にすると、

そんな言葉が自然に出てきた。

 

レジの店員に渡しそびれたのも、結局こういうことで、

これは誰かが用意してくれたプレゼントだったのではないか―――

 

「ありがとうございます…」

小さな声で少年は言うと、ついに動いたコピー機から

昆虫のようなアニメキャラクターのようなものが描かれた紙を、

恥ずかしそうに取り出した。

 

少年はちょこっとお辞儀らしいものをすると、

あわただしく原稿と、そのコピーを手に、店の出口へ駆けていった。

 

すごくほっとした。

私のほうがお礼を言いたいぐらい、心に平和が広がる瞬間だった。

少年の手元から一瞬見えた、昆虫のようなそのキャラクターは、

緑色のカラーであざやかに出力されていた―――

 

今日は、こういう日だったのだ。

 

 

 

 

Update September 2023 ~古都への通勤、アートの支援。

 

数日に1回は更新していたブログを、1ヶ月あまり離れてしまいました。

 

新しい仕事に慣れるというミッションがあったにしても、

ここまで離れると、書くことがおっくうになる、

というのも実態を帯びてきて―――

 

「ホッとする瞬間は、どんな時ですか?」

今回は、この”はてなブログお題”を見つけて、書けそうな気がしたので、

書いてみたいと思います。

 

この1ヶ月、何度か書いては下書きに据え置いてみたら、

その書いた時点から、気持ちや状況まで変わってしまうってことが起きて、

結果、更新をしないってことになって。

 

ある程度ザーッと書いたら、ポンと公開する勢いも必要かと思う、

この頃でした。

 

そんなわけで8月は、振り返ってみると―――

アウトプットをしてこなかったのもあるし、

新しい職場で仕事を教わる、新しい勤務地の鎌倉という場を体感する、

それをまずは自分に取り込む、インプット優勢の1ヶ月だったな、と。

 

7月に自分で訪問して、その場のおだやかさと、

そこにある作品の”人柄の良さ”みたいなものに触れられたギャラリー。

実際にそのギャラリーと、作品が生まれる工房で

仕事できる機会をいただけたことは、本当にありがたく―――

 

皆さん、作品が持つ雰囲気同様、気持ちがとても優しい。

しかも、ここは、これまで関わった障害者アートの仕事の中でも

関わりが深く、気になっていた、精神の人たちの創作活動の場。

自分が再び居られることになるとは、まだ信じられないくらいなのですが。

 

小旅行ぐらいの遠距離通勤。

学校の1クラス分ぐらい在籍しているメンバーの皆さんの

名前と作品は、正直まだ覚えきれてないし、

メンバーそれぞれへの自分の声がけも、こんな下手なことを言うんなら

かえって黙ってるほうが良かったじゃんか、ぐらいな時もある。

支援なんて、なかなか遠い道のりに見える。

 

様々な作品制作が行われる工房ではもちろん、

小さなギャラリーの運営でも、業務上必要ないろんなルーティンがあって。

一つ覚えると、一つ抜ける自分の容量に反省しきり。

 

だから、その日の仕事を終えて、鎌倉の街に一歩降り立つと

限りなくホッとする―――

 

観光客は外国人も日本人も、職場の周りにも駅にもあふれて、

うっかりスーツケースに足を引かれそうになる。

その流れを引き込もうと、呼び込みの声が中華街並みに熱を帯びる

通りもある。

 

でも、この山に囲まれ海を臨む、歴史を越えてきた鎌倉は、

いちいち動じなくてもいい、

あなたらしくここで息をして歩いていたらいい、

と言ってくれてる気がする。

 

メンバーの皆さんも、こんな空気を気に入っているのかも。

 

予想以上に、ホッとする瞬間をもらう街です。

 

 

お題「ホッとする瞬間はどんな時ですか?^^」