narrative voyage ~旅と今ここを見つめて

多様な世界を感じるままに。人が大切な記憶とつながっていくために。

この空の向こうに⑥ 何かを越えた出会いと、書くということ

 

1年前の今日も、良く晴れていたのを覚えています。

生きている限り、きっと忘れないことが起こった日でした――—

 

2022年5月2日の朝、私がいたのは通勤電車。

リュック姿や家族連れがにぎやかで、

世間は連休だった、私も休みを取ればよかったと思い始めていました。

 

ふと顔を上げると、ドアの手前に立つのは、背の高い外国人の女性。

地下鉄なのだけど、ガラス越しに外をまっすぐ見るその姿は印象的で。

隣には、凛々しく同じ方向を向く、10歳ぐらいの男の子。

 

2人とも、カーキからオリーブグリーンのような色で

まとまっており、髪もそんな色合い。

全身が、落ち着いた自然の中から生まれてきたかのよう。

 

特に、女性の髪が気になった。

軽やかなカールの踊るショートヘアは、

ギリシャ神話のアポロンか何かのような、骨格を美しく出した

スタイルで、ボーイッシュな感じの彼女によく似合う。

 

ちょうど新しい美容院を探していて、ショートヘアの私にとって、

この発見はすごくうれしいもので、

ここ数年、海外の友人と会話もできていなかったけど、

電車で居合わせたその親子に、話しかけたくなった。

 

しかも何と、親子は私と同じ駅で降りて、歩いていく。

これはもう、話してみなさい、ということ!

 

速足だった彼らに追いついて、声をかけた。

「すみません」

考えたけど、結局日本語で。

「とても素敵なヘアスタイルだと思いまして」

 

女性は歩きながらも、振り返ってくれた。

「ありがとうございます」

 

お子さんの顔がどこか和風なので日本語にしてみたけど、

やはり日本での在住が長いようで、自然に日本語で返ってきた。

ふわっと笑顔になってくれたので、私も一緒に歩いて

聞きたいことを聞けた。

 

何とこのヘアスタイルは、カットだけで成り立っているとのこと。

外国人特有のカールの強さはあるにしても、

ここまで出せるのは、すごい腕前だ。

 

「もし、よかったらなんですけど」と

遠慮がちに、通っている美容院とスタイリストについて聞くと、

彼女は足を止めて、快く教えてくれた。

 

もう10数年も通っているという大切な美容院を

こんな初対面の私に教えてくださったことに、感激しかない。

 

少し離れたところではずかしそうに待っている息子さんが

目に入った。その先には港や公園があった。

 

「今日はお天気だから、いいですね」と言うと、

「今日はパスポートセンターに行くんですよ」との返事。

 

「しばらく日本を離れることになったので」

と言いながら、もう歩いていこうとする。

 

「あなたが美容院に行ったら」

彼女はそれでも笑顔で手を振ってくれた。

「ぜひスタイリストさんに、よろしく伝えてください!!」

 

言い残すと、息子とともに颯爽と歩いていく。

私も勤務時間が迫っていて。

「ありがとうございました!」と手を振って二人を見送った。

 

私は晴れた横浜の空を見上げて、今日はいい日だ、

通勤して良かったと思っていた。

 

この時、もう少し時間があったなら。

彼女から、大切な話が聴けたのかもしれない。

それに自分がまともに応えられたかは、自信がないけれど―——

 

 

10日後に、美容院に行った。

教えてもらったスタイリストさんはやはりベテランで、

ご本人もショートの似合う粋な方だ。

 

どなたの紹介でいらしたんですか?という問いに、

横浜で出会った彼女、エレーナさん(仮名)の紹介と伝えると、

 

「エレーナさん、長く日本におられたんですけど

国に帰ることになったんですよ」と言う。

 

パスポートセンターに行く途中でお会いしたことを話すと、

スタイリストさんは、そうだったんですね、と一息ついて、

「彼女のお母さまがウクライナの方で、

いまポーランドに避難されているんです。

それでエレーナさんも、お母さまと一緒に住む決意をされて」

 

私の中で、まばたきも息も止まった。

東京の美容院の椅子に座って、鏡を見ながら聞く話ではないような、

おかしな感覚だった。

 

そうだったのか、という衝撃。

まとまっていなかったパズルのピースが、

ざくざくと心の中ではまっていく。

 

彼女の、あの地下鉄の窓に向かう何かを決意したような表情も、

彼女と息子の、何かに間に合おうとする足早な感じも、

別れ際、”スタイリストさんによろしく”

と手を振った姿も―——

 

その動揺を察知してか、スタイリストさんは明るく

私のからまり気味の髪をとかしながら言ってくれた。

「でも、こうしてエレーナさんと繋がってくださって、

来てくださるってすごいことです。

私もすごくうれしいですよ…!」

 

快晴の横浜での出会いから、1年。

エレーナさんと家族はどうしているだろうか———

 

思い返しても、10分もなかった出会い。

でもこの1年、彼女の、想いの詰まった凛としたあの表情、

たたずまいは、私の中でどうしようもなく思い出された。

 

 

いつもの誰かの通勤途中にも、

実は世界の縮図が隣り合わせていて―——

 

素敵なショートヘアへの、自分のとっさの反応が、

突然、ヨーロッパの戦火を越えようとする人の人生に

触れたことは、自分にとって衝撃以外の何物でもなかった。

 

実際に、国を守る戦い、家族を守る日々を送るウクライナの人々、

そして彼らを支援する周辺国の人々の現状や思いと比べれば、

はるかに小さい衝撃だろうけれど。

 

思い出しては、時々、人に話すぐらいしかできなかった自分に、

ある人生の大先輩がこう言ってくれた。

「あなたの人との出会い方は特殊だから、

文章に残した方がいい。ブログをやりなさい」

 

そこからも時間が経った。

美容院にも行かなくなってしまった。

 

でも、この春ブログを立ち上げたとき、やっぱりこのストーリーは

自分の中でまたエネルギーを持ち続けていると感じた。

 

私一人がこの体験を書いて、世界が変わるものでもない。

それでも、書いたら、誰かに届く。

 

可能性は捨てないし、あきらめない―——

 

いま、こうして書きながら。

あの日の親子も、ヨーロッパで始まる暮らしに、

そんな思いを持っていたのではないかと思っている。