narrative voyage ~旅と今ここを見つめて

多様な世界を感じるままに。人が大切な記憶とつながっていくために。

Old City, New Life ~古都・鎌倉で始まった7月新生活。

 

暑中お見舞い申し上げます。

気づけばブログへのエントリーが、3週間もないまま、

7月も後半に突入していました。

 

7月1週目が、動きのある週で―――

6月末のあの、出会いと再会のものすごい流れとはまた違うものの、

興味のあった場所への訪問であれ、後回しにしてきた家の用件であれ、

考えていたよりも、実際に行動してみたのが良かった模様。

 

その1週目の行動によって、これまで3ヶ月テコでも動かなかった感じの、

“仕事への応募”というものまでが進み、

2週目には、面接→採用へと動いたのでした。

 

そんな7月上旬、何度かブログを書こうとしたものの、文章にすると

なぜか重い感じになってしまい―――

 

いま思うと、仕事の応募への緊張感だったり、

大きなことが動いている感覚だったのかもしれないですが。

もう少しライトに書けるときまで。

書かないなら、書かないもいいかな、と放置してみました。

 

そして昨日、初出勤———

鎌倉の職場へ。

週数日の仕事とはいえ、横浜の内陸部からの通勤は、

気分的には日帰りツアーぐらいの距離感。

 

職場では、一日で代わる代わるいろんな方にお会いしました。

 

日によってプログラムやお会いする顔ぶれも違うので、

一日の流れに慣れること、まず皆さんの顔と名前を着実に覚えることが

第一段階になりそう。

 

無事初日を終えると、鶴岡八幡宮へ。

ご縁をいただいたことへのお礼、と思って来てみたら

まぶしい夕暮れ時の光の中、蓮の花が開いていました。

 

最近の中では涼しい日だったけど、

汗もかかずに本殿への階段も上がれて、本当に風が気持ちいい夕方で。

 

さすがに帰り道は疲れがやってきて、帰ってからは、

もうどこにも動けない感じでしたが―――

 

そうして昨日スタートを切れたことで、

今日は力を抜いて文章を書けるようになったかも。

 

仕事については、これから少しずつ書いていければと思います。

 

冒頭の写真は、鳩サブレーの豊島屋さん(勤務先ではないですが)―――

こんな新しい感覚のデザインと、見るものを深くうなずかせる

古さの生きづく街並みは、なかなか見ごたえあります。

 

短めですが、近況報告まで。

今後は、このぐらいの軽めなボリュームの投稿も良いかなと思っています。

 

皆さんの夏が、引き続き良い時間になりますように。

 

鶴岡八幡宮 蓮の花が見頃です

 

 

 

この空の向こうに⑭ ~ジャズ・バーとレモンの木に見る50年

 

「個人的に強く反対しています」

今週初め、作家の村上春樹さんが、東京・明治神宮外苑地区の

再開発について、自らがディスクジョッキーを務めるラジオ番組で、

語ったことが、ニュースで流れた。

 

「緑あふれる気持ちの良いあの周回ジョギングコースを、

そしてすてきな神宮球場をどうかこのまま残してください」

「一度壊したものってね、もう元には戻りませんから」と作家は言った。

 

外苑のジョギングコースを愛用していたこと、神宮球場でかつて自分が

作家になろう、と決意したこと―――

彼がそんな個人的な思い出のために、残したいと言っているように

聞こえる人も、世の中には少なくないかもしれない。

 

けれども、

「一度壊したものってね、もう元には戻りませんから」———

 

作品の中でも、日常が日常でなくなる主人公を頻繁に描いてきた

村上さんのこの言葉は、重大な危機感をもって感じられた。

 

私にとっても、この再開発計画は、東京という街から

緑の塊が消えてしまう以上の、何かやるせなさがあり、

今回のニュースについて何か書きたいと思いながら、

肝心な自分の思いをすくいきれないまま、今週が1日ずつ過ぎていった。

 

lithub.com   
アメリカの著名な出版者や雑誌編集者協会の殿堂編集者による、
文学サイト”LIT HUB”でも、このニュースは早急に報じられた。
 

ところが、今朝になって、TVであるドキュメンタリーを観るうちに

その中の女性が語る言葉に、耳を奪われた。

 

舞台は仙台の定禅寺通りで、50年以上続いてきた老舗ジャズ・バー”KABO”。

新宿のジャズ喫茶でアート・ブレイキーのレコードを聴いたのを機に、

お店を始めたというご主人の遠藤雄三さん。

そして、二人三脚で店を切り盛りしてきた奥さんの幸子さん、

常連のお客さんが、店の歩みを語ってくれる。

 

仙台は、初めて知ったのだが、毎年大きなジャズイベントが

開かれるジャズの街なのだった―――

市民バンドも盛んで、この店でも、昼間は医療関係で働きながら、

演奏の練習を重ね、ステージにこぎつける人もいるという。

 

そんな熱心なアマチュアから、キース・ジャレットをはじめとする

海外のプロまでが、夜ごとに演奏を展開、

1968年から続いてきたジャズ・バー。

 

「店をやっていて嬉しかったことは?」と聞かれ、

幸子さんの顔が満足そうにほころんだ。

 

「来店した方に、”床・天井・壁に、これまで演奏してきた

ミュージシャンの音が浸み込んでいる”と言われたこと」

それが何より嬉しかったのだと、彼女は答えた。

 

www.yomiuri.co.jp 

こちらの記事では”ジャズ喫茶”と記載されていますが、当ブログでは

本日観たNHKの「小さな旅」での紹介にならって、KABOは”ジャズ・バー”としておきます。

 

”床・天井・壁に、これまで演奏してきた

ミュージシャンの音が浸み込んでいる” ———

 

その年月、残ってきた床・天井・壁があるから、

その場を残してきた人がいるから、浸み込んだ音を今も感じることができるのだ。

 

東京・外苑の開発をめぐって、“緑が惜しまれる”どころではなく、

“悔しい”と感じるのは、

東京は“浸み込んできたもの”を捨てようとしているからだ。

 

悲しいのは、人々のそこで過ごしてきた時間や記憶が、失われようとしているからだ。

 

その開発という行為を行おうとしているのは、同じく”人間”である―――

 

一方、人間は木を植える活動もする。

 

ジャズ・バーのドキュメンタリー番組を見終わって、

ふと手元を見ると、読みそびれていた地域の情報誌に

「50周年」の文字が大きく書かれていた。

 

ジャズ・バーと同じく、創立50年となった地元の小学校があり、

記念式典を行った、という記事だった。

 

子どもたちは記念に、レモンの木を植えた。

 

そこに込められたのは、次の50年につなげる、という思いだという。

 

6年生が代表として、その木に水をやり、

「卒業しても元気に育ってほしい」

「たくさん実がなってほしい」と話した―――

 

その思いに、私たち大人はどう応えられるだろう。

 

レモンは充分な大きさの、味の良い実ができるまでに、

5年ほどかかるそうだが、

環境と適切なケアがあると50年、100年生きたりするという。

 

時は様々なものを育てていく。

人はその育ったものから、様々なことを感じ、ひらめきを得る。

 

ジャズ・バーKABOの遠藤さんが、55年前、新宿のジャズ喫茶で

自らも開店することを思いついたように。

村上さんが、45年前、神宮球場で作家になろうと決心したように―――

 

子どもたちが、育ったレモンの木を見て、自分たちのこの先を描ける。

 

そんな世の中であってほしいと願わずにいられない。

 

 

rief-jp.org 

日本の金融機関のESG(環境・金融・ガバナンス)活動の情報発信、

研究活動を行う団体「環境金融研究機構」の記事。

今回のニュースへの俯瞰した視点と、村上作品への期待も込めたまとめが光る。

 

 

6月を駆け抜ける ~再会と出会い、“居場所カフェ”を言葉に。

 

それほどスピリチュアルなほうでもないけれど、

同じ数字の偶然の連続、”エンジェルナンバー"も何度か
見たりして、不思議だったこの頃。
 
その先に、停滞した2ヶ月間が信じられないほどの、
再会と出会いがつながりあう1週間が待っていました。
 
しかもキーワードは、前回のブログで触れた”居場所カフェ”―――

 

2023/6/19  火曜日

久しぶりに平塚の障害者アートギャラリー&カフェへ。
約束した友人(アートスペースをやりたい友人)と再会。
自閉症のある息子さんと、毎週、東京からここまで通っている彼女。
息子さんが自分のペースでおだやかに、アートやヨガができる
スタジオと、
彼女自身が自分らしく緩やかでいられる、このギャラリー&カフェに
とても感謝している。
私も、そんな友人にこの場とのご縁をいただいたことを
感謝しながら、創りたいスペースについて彼女と語り合う。
 
そして今日は、新しく、北海道から来たお客さんとも知り合った。
これから地元で雑貨店をオープン予定で、平塚のこのスタジオの
作品を買いに来たのだそう。
たった1日の旅だった彼女と、たまたま話ができて、何だかすごく
運が良い感じがした。
 
 

2023/6/20  水曜日

地元でアクシデント的な事態が発生。
それにより、地域で暮らす、まだ若い在日外国人の子たちの存在を知る。
いっても20歳前後だろうか、身体も細く、表情もあどけない。
親や家族を国に残して来日した彼女たちが、緊急時に頼れる大人がおらず、
自治体の交流センターはもとより、隣近所とのつながりもないことに、
私はとてもショックを受けた。
 
近隣の人と繋がったほうがいいだろうと思ったが、自分の家は少し離れている。
やはり事態の解決を待っていた、近隣の日本人を発見。
その方に彼女たちの状況を話して、事態の状況説明などを
一緒に聴いてもらうように、お願いした。
数時間経って、アクシデント自体は収まった様子だが、今後どんな展開が
あるかわからない。
多文化共生センターのサイトで、相談窓口のページをプリントアウト。
「ここなら母国語で相談ができるよ」と、差し入れのパンとともに
渡しに行った。
突然、不測の事態に巻き込まれてしまった彼女たち。
疲れはありながらも、「ありがとうございます」と何度も日本語と
笑顔で私を見送ってくれた。
 
11の言語で、外国人の生活相談が可能な窓口
 

2023/6/21  木曜日

難航している自分の仕事探し。
ヒントが得られれば、と久しぶりに、自治体による
”女性のためのキャリア相談”に向かう。
やりたいことをやる前に、何かできる仕事を考えたほうが
いいのでは、と思っての相談だったが、
どちらかというと、自分のやりたい”居場所カフェ”のイメージや、
昨日あった外国人とのコミュニケーションを、丁寧に聴いてくれた。
相談者が自分のコアの部分を理解した上で、具体的に
キャリアプランを、ということのようだ。
「人にどんどん話すことで、持っているものがはっきりして、
自信に繋がってきますよ」とやわらかながら、強く励ましてもらう。
 
午後は、7月から始まる国際交流展の手伝いに入らせていただいた。
戦渦にある国の子どもたちが描いたたくさんの絵画を、国ごとに
畳サイズのパネルに貼り付けたり、
一緒に作業をされた、エネルギッシュなベテラン日本人出展作家の
方々から、こういった海外作品が集められた経緯や、交流展の歴史を聞いた。
いただいた図録の表紙に、”国や民族を越えてフラットな場を実現する”
展覧会だと書かれている。
”フラットな場”というのは、私にとっても大切なワードかもしれない。
 

jaala2015.jimdofree.com

今回関わらせていただいている JAALA(日本、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ美術家会議)

◆7/2~8 上野・東京都美術館にて「国際交流展2023」開催◆
 

2023/6/22 金曜日

前日に開催を知って申し込んだばかりの、カフェイベントへ。
15年前に短期間、都内のパクチー料理専門店でアルバイトさせて
いただいたのだが、
その店のオーナーが、なんと私の地元のカフェで、本日限定の
パクチーハウス” を開いてくれたのだ。
サラダからスープ、メインのイノシシ料理、デザートのクレープにも
ふんだんにパクチーが使われ、10名ほど集まった人たちと
感激しながら味わった。
 
オーナーは現在、千葉でパクチーを育てながら、カフェ運営や
アーティスト・イン・レジデンス活動も展開、
こうして日本各地のカフェなどを会場として、”パクチーハウス”を
開催している。
自由な人だな、と前から思っていたが、さらに自由度を増して
元気に満ちていた。

現在、千葉で展開される「パクチー銀行」

https://www.paxi.coffee/atm

 

居場所カフェのアイディアを、このタイミングでオーナーに
話せたのはすごく大きかったし、
お客さんにも、ご自身でカフェ的な活動をされている方が
いらして、刺激を受けた。
 
さらに驚いたのは、会場となったその横浜のカフェのオーナーさんが、
私の妹の作品を、最近購入してくださった方だった!
ということ。
縁というのは、人間の予想を超えて、ときに人間を繋いでいて
くれているものなのだ―――
 

会場となった横浜・青葉台の、おうちカフェ&ショップ etanaさん

2023/6/23 土曜日

予定がないことに感謝した。
ここまでの流れはあまりにすごかった。
終日ぼーっと過ごした。
 

2023/6/24 日曜日

おとといの横浜のカフェの方が教えてくださった、地元のマルシェへ。
古民家を改装した、庭付きの気持ちの良いスペースに、
手仕事の作品やパンやスイーツ、占い、野菜販売コーナーなど。
お客さんも絶えることなく、にぎやかに集まっている。
庭のパラソルの下で、子どものお絵描きワークショップが
やっているのも、良い感じ。
移動販売のカフェも来ていて、初出店なのに驚くほど美味しい
お店に出会ったりした。
 

 

地元で月1回開催されてきたこのマルシェの存在を、私も妹も
まったく知らず、もったいないことをしてきた。
 
そんなことを思いながら建物を周っていると、目の前の女性から
突然、名前を呼ばれた。
驚いて、多分お互い、一瞬息が止まったと思う。
そこに笑顔で立っていたのは、数年前、お世話になった職場の
施設長だった。
コーヒーを手に庭でお話をすると、彼女も今後カフェをやりたいと
話してくれて―――
 
こんな形で、また人は繋がったりするのだ。
 
気づけば、何だか今日も感謝な日なのだった。
 
 

平塚のギャラリー&カフェでランチに付いてきたポップな旗を、海岸に立ててみた!

 

 

この空の向こうに⑬ ~子どもたちの未来が始まる場所とは

 

先日は、2日間限定ながら、久しぶりに外で仕事をしたことと、

障害福祉関連のドキュメンタリー番組を見たことで、

自分の仕事観みたいなものが、また揺り動かされた一週間だった。

 

仕事と、ドキュメンタリー番組とそれぞれ、落ち着いて記事を書ければいいのだけど、

おととい参加したオンラインイベントが、自分にとっても

世の中にとっても、気に留めておきたいことだったので、

色あせないうちに書いておく。

 

「第12回地域の居場所づくりサミット」というもので、イベント案内では 

子ども食堂などの活動の定着を目的に、展開事例紹介や団体同士の

ネットワークづくりにつながるセミナーです” と紹介されていた。

 

mow.jp

 

私はこれまで子ども食堂どころか、飲食関係の仕事は全くしたことがないが、

コロナ禍前から、居場所としてのカフェに大きな魅力を感じてきた。

 

子どもたちという存在は、私にとって高齢者や障害のある人たち同様、

なぜか自然に声をかけやすい存在だ。

コロナ禍になってからは特に、近隣でも、彼らの言動が心配な場面に出会っていた。

 

そして最近は特に調べていたわけではなかったが、このイベント情報が目に入った。

開催12回目で、あのマヨネーズで有名な企業による

キユーピーみらいたまご財団」と、「一般社団法人 全国食支援活動協力会」による開催だ。

 

何か実のある、子どもたちの“今”を知る話を聞けるかもしれないと思って、参加を決めた―――

 

そしておととい、6月17日。

Zoomを繋げてみると、「第12回地域の居場所づくりサミット」には

100名を超える参加者があり、

全国から寄せられる関心の高さがうかがわれた。

 

キユーピーみらいたまご財団の事業説明に続き、

助成プログラムの活動報告として、登壇されたのが、

“東灘子どもカフェ” 主宰の中村保佑さん。

 
私は気楽に耳で聞こうと思っていたのだが、
中村さんが話し始めて、1分と経たないうちに、紙とペンを取りに行くことになった。
これはノートを取る話だ、と思ったのだ。
 
引き込まれたのは、
「震災から28年、地域のつながりは希薄になりつつあります」
という出だしもあったが、
何と言ってもその、活動の長さと頻度と充実度だ。
 
25年以上の活動年数、年間300回の講座の中で子ども料理教室も12年。
 

https://tinyurl.com/47y7v2mr  

(東灘子どもカフェ Facebook トップページ)

 

活動当初、小学生だった子が大人になり、今は食の支援や学習支援も。
現在は約900名が登録、活発に参加している。
 
多世代交流も盛んで、中村さんいわく、
カフェには、“昔の子ども”(おじいさん、おばあさん)たちも多数顔を出すのだそう。
リタイアした魚屋さんが、旬の魚をさばいてくれる時間もあったり、
高齢者への弁当配布活動もある。
 
そんな人たちの協力を得ながら、子どもの食と学習支援を行っていたが、
さすがにコロナ禍は、子どもたちの出足を鈍らせた。
 
「そこで、スタンプカードを導入したんです。これがなかなか好評でして」
と中村さんの声が明るく響く。
 
私は失礼ながら、中村さんの笑顔を信じられなかった。
ゲームやスマホに慣れ親しんでている、今の子どもたちが、
そんなアナログな方法に乗ってくるのだろうか。
 
だけど、そのスタンプカードは子どもたちにはマジカルな効果があった―――
家の掃除でもいい、道路のごみ拾いでもいい。
小さなボランティアをするごとに、1個スタンプがもらえる。
10個貯まると、プレゼント的なものもあるらしい。
 
子育て支援者のアイディアだったそうで、
「スタンプカード自体もバージョンアップしています」と充実ぶりを語る中村さん。
支援者側も楽しんでいる様子が、良いなと思う。
 
食育活動は、実際に子ども食堂を開いたり、料理の作り方を教えたり、
みんなで交流することに留まらない。
 
子どもたちに活動発表の場を設けて、がんばった子には賞を出すこともあれば、
“友だちはいますか?” “社会のことに関心はありますか?”
といったような「食生活アンケート」も行う。
 
子どもに聞くにはしんどい内容もあるというが、
食育と居場所のスペースとして、子どものニーズをわかった上で
支援したいという姿勢なのだ。
 
しかし、中村さんの表情が曇る。
七夕で、子どもが書いた短冊に
“死にたい” “自由になりたい” という
文字を目にして、ショックを受けた。
 
一方、そういった子どもは学校では
“将来はオリンピック選手になりたい”とか
書いていたりするのだ、という。
 
わかりやすいゼロかイチかではなく、
0.1や0.2という微妙な振れ幅でさまよっている子たちの存在———
カフェ利用によって少しでもプラスのほうへ振れてくれれば、
と中村さんは希望をこめる。
 
そんな思いもあって、東灘子どもカフェは毎日オープンしている。
 
 
 
第二部の「地域の居場所づくり講座」では
東京・荒川区から、子ども食堂などの活動を活発に行う2団体が登壇。
 
“中高生ホッとステーション” 代表・大村みさ子さんは
野菜を無料配布した際、「菜っ葉をもらっても困るのよ」と
言われ、びっくりした。
ネグレクト系の家庭は特に調理の機会が少ない傾向があり、
ニーズに沿ったものを配ることが大切、と話した。
 

 
また、“フロイデ~ふれあい食堂~” 代表・櫻井則子さんは
子ども支援と合わせ、シングルマザー対象に弁当を配布している。
 
公式LINEで認知度を高めており、アレルギー対応の弁当も含め、
雨の日も風の日も配りに行くが、
まだ上手くつながっていない家族、子どもがいるのでは、と心配する。
 

 

実は、申込んでから当日まで、私の頭には、キャンセルすることも何度かよぎった。

冒頭に書いたような仕事観の揺れや、

暑さによる疲れもあり、

子どもたちの現状を聴くことで、また自分が考えることが増えてしまう、

とも思った。

 

実際、参加してみて、

“経済不況による、子どもの体験・経験の貧困”

という言葉にドキッとさせられたり、
聴いているだけで気持ちが塞がる瞬間もあった。
 
でも、それを超えるための数々の努力が、各地で日々行われていることを知り、
新しいエネルギーをいただいた。

 

イベント内では発表されなかったが、東灘子どもカフェがホームページ内で掲げた、
この「7歳からのハローワーク」は、40代大人にも十分響くものがある。

“味覚の目覚め” ”家族・友達・世間への好奇心”が、
しっかりそのスタートとして位置しており―――
 
そして、「仕事の目的は何か?」
そのキーワードが、“自分だけの楽しい領域”となっているところに
またすごく素敵さを感じてしまう。
 
活動継続の秘訣を聞かれた、中村さんの言葉が残る。
「365日開いていて、あとはおもちゃや何か材料を置いておけば
子どもは自然に遊ぶんですよ」
 
子どもが子どもらしくあれる社会は、きっと大人にも当てはまり―――
人がその人らしく生きていける社会ではないだろうか。
 
 

 

 

この空の向こうに⑫ ~川岸のピアノを聴けるまで

 

昨日は、地元・横浜でも30℃ぐらいに気温が上がった。

朝から困ったことがある。

服が、ない―――

 

正確には、着るものは “ある”のだけど、ノースリーブに近い真夏仕様か、

(今から着たら、きっとこの先の高温に耐えられないか、早々に風邪をひく)、

袖的には良さそうでも素材的には、もわっと感じられたり。

この時期にストレスなく着られる服が、なかった。

 

昨年から断捨離に力が入って、これまでお世話になった夏のアイテムを

半分以下に手放してしまった、というのが大きそうなのだが。

 

そんなわけで、昨日は気温がぐんぐん上がる中、自転車を飛ばして

リーズナブルな日常着を買いに行ったのだった。

 

全国展開の量販店なのだが、特に夏物は例年、頼れる品ぞろえがあり、

昨日もそこで、今年の主力になってくれそうな数枚に出会えた―――

 

洋服を買うことを週末の趣味ぐらいに、楽しくしている人がいる一方で、

服選びというのは、人生の中での選択のトレーニングなんじゃないか、と思う。

 

デザインと素材と予算とで、短い間にものすごい”せめぎあい”がある。

 

それも、その服単体のデザインや色に強くひかれながらも、

この服を着たらこうなるだろうとか、鏡の中の自分をはかろうとする視覚と、

実際、試着してみたときに、素材に対して肌が反応する触覚、

複数枚買おうとする時の脳内での計算———

たいてい服を最初に手に取るときは、デザインや色ありきだけど、

最終的には試着した時のフィット感であったり、触感が結構大事だと

特に断捨離をするようになってから思うようになった。

 

手放した服の半分くらいは、その理由が

「形は好きだけど、着心地がいまひとつ」だったからだ―――

 

どんなに”Cool素材で快適!”とうたわれていても、

自分が数分でも試着してみて、何か違和感がよぎったり、

”結局着なくなったこの服”を想像できてしまったら、買わないのがベストだ。

 

店内でほとんどお客にも店員にも出会わないのをいいことに、

気づいたら2時間も、そんな選択作業をさせてもらい―――

おかげで、その場でいいかも、とピックアップした10着の中から

今回は晴れて、多めの4着とのご縁があったわけだが、

さすがに疲れたらしい。

 

高温多湿の天気も手伝って、昨日から今日の午後まで、頭のへりに

鈍い痛みが居座り続けた。

 

いつもだと、今日はもうこういう日、ぐらいにあきらめてしまうが、

今日の私は15時すぎに立ち上がった。

 

おとなしく頭痛薬を飲むと、サンダルをひっかけて

近くの土手へと散歩に出た―――

昨日よりは雲が厚い空、まぶしさがないのも、良かったのかもしれない。

 

外に出てみると、風は、夏の夕方に向かう時間はこうあってほしいと願うような

さわやかな風だった。

土手にも、真夏日と梅雨空を縫って、平日だがばらばらと人が歩いている。

 

若々しいボーダー柄のシャツを着たおばあさんと、薄いピンクのパーカーを着たおばあさんが、立ち話をしている。

どちらも杖を使って歩いているようだが、話に夢中で杖のことは忘れている。

 

何度か見かけた10歳ぐらいの少年が、今日も全速力で私の隣を駆け抜けていく。

 

土手で多分一番好きな花を、今日も見かけた。

最近見た中でもコンディションが良さそうだ。

 

写真を撮っていると、土手のさらに一段下のスペースで、バク転の練習をする

ジャージ姿の少年たち。

2人で交互に回転するのだけど、軽やかすぎて写真のタイミングにはなかなか合ってくれない。

 

そんな彼らを横切って、山岳救助犬のような大きな犬を連れた女性が、

大きなストライドで進んでいく―――

 

風は相変わらず気持ちいい。

私はといえば、Tシャツとワイドパンツ、サンダル姿で土手を歩いていたけど、

ふと立ち止まった。

音楽があってもいいんじゃないか、と思ったのだ。

 

さっきまで写真を撮っていたスマホで、再生リストを探した。

そう、これだ―――

 

music.youtube.com

 

Didoダイドー)のすりガラスのような声が、向かい風に流れ始める。

 

イヤホンは持ってきていないので、自然と音はスマホから聴こえ続ける。

 

でも、いいかな、と思う。

時々、土手を、アップビートな曲とともに駆けていく週末ランナーや、

ラジオ全開のまま、自転車で走り抜けるおじさんの存在もあるからだ。

 

土手を一段降りて、川沿いに歩いてみる。

Didoインサイド気味な歌声も、土手のこの空の下で聴くとむしろナチュラルに響く。

自分と川の間に茂る木々の、緑の意外な濃さや、忘れた頃にさえずる鳥や

じっと川面を見れば、実はそこで跳ね飛んでいる魚のことを、

思い出させる。

 

再生リストは、そんな彼女に続いて、なかなか開放的でいい感じだった―――

 

music.youtube.com

music.youtube.com

music.youtube.com

 

私は何度もこの土手を歩いているが、ようやくあの、

音楽を鳴らしながら通り抜ける人たちの気持ちが、少しわかったかもしれない。

 

自然、好きな音楽、歩くこと。

考える余地を手放して、このリズムに浸ってみる―――

なかなか素晴らしい、リラックス法なんじゃないか。

 

そろそろ帰ろうと土手のふちに上がってみると、

このソウルフルな選曲には入っていないはずの、

おだやかなピアノの和音が重なって聴こえた。

 

思い切ってスマホ音楽配信をOFFにした。

どちらかというとクラシックなその響きは、

土手の真下にある、小さな白い家から流れてくるようだ―――

 

誰かが真摯に鍵盤に指を広げ、ピアノは丁寧に音を届ける。

少しぎこちないその音は、私が知っていたはずのこの川岸の景色に、真新しく響く。

 

6月の空の下、今ここにしかない流れに、少しの間、耳を澄ませた。

 

 

お題「おすすめのリラックス法」

 

 

この空の向こうに⑪ ~愚直に16年、連続出場1090回

 

先週末は東京・両国へ行ってきました。

2年間待っていたイベントのため、国技館へ―――

 

実は相撲が好きなのですが、連続的に見るようになったのは、この8年ほど。

以来ずっと、応援してきた力士が引退、ついに断髪式となったのです。

 

 

伊勢の海部屋の、元関脇・勢(いきおい)です。

 

おととし既に引退して、”春日山親方”となっていたのですが、

コロナ禍で断髪式がなかなか行えませんでした。

 

ついにこの日、2023年6月5日。

「勢引退 春日山襲名披露大相撲」と題して式開催———

 

快晴の日曜日。

今年初めに買ったチケットを握りしめ、国技館に到着しました。

 

入口に立ち並ぶ、伊勢ノ海部屋や一門の所属と思われる力士たち、

そして勢の先輩、甲山親方が、関係者や常連のお客さんに

挨拶する姿が見られ―――

 

そして、本人の笑顔に会えました。

紋付袴姿で、緊張もしているのだろうけど、清々しい表情。

 

髷(まげ)が似合いすぎて、数時間後にはこれが無くなってしまう

とは信じがたいなあ、とファンとしてはセンチな気持ちになる。

 

 

そんな私の後方から、現実的な声が飛ぶ。

「勢、デカイな~!!」

若い男子が驚きを隠せなかった様子。

 

確かに、身長193cm、体重161kgの勢。

隣りで、写真に納まろうとするおばちゃんは、

1/4ぐらいのサイズ、がたいの良いおじさんでも、彼の隣りに立てば

半分ぐらいになってしまう。

 

いつもは優勝額などを飾っているコーナーは、今日は祝賀の花束で

あふれている。

角松敏生さんやTUBE前田さんから届いた花束も発見…!

 

勢といえば、歌である。

歌好きが高じて、今回、カラオケのJOYSOUNDさんやテイチクさんからも、

立派な後援をいただいているほどだ。

プログラムにも ”スペシャルゲスト”の文字を見つけ、期待が高まる。

 

 

午前11時。式はゆるやかに”花相撲”からスタート。

特に勝敗は場所中の成績とは関係なく、興行的に、少しエンタメ的に

行われるので、土俵に上がる力士たちもリラックス。

 

今回私が取った席は、向正面2階イス席だが、1列目にしたので

土俵上からなかなか気持ち良い眺め。

ファンの歓声に応えて、力士たちが手を振ったり笑顔の様子も見える。

 

一人の力士の引退相撲だから、場内の人数は場所中よりぐっと少ないし、

館内はまだまだマスクをしている人が、自分も含めて6割ぐらい。

 

それでも私が前回、場所中に国技館へ来た時は、歓声も出せなかったし

飲食制限もあったから、雰囲気がかなり戻ってきている。

やっぱりいいなあと思う。

 

十両の取組では、先場所から存在感を見せてくれた宮城野部屋の落合を、

生で見られたのが収穫。

スピード出世ゆえ、まだ髷を結うまでに1年ぐらいかかりそうな短髪なのだが、

土俵に立つ姿自体が、もう堂々としていて驚かされる。

 

今日は16時までのタイムテーブル。

何か食べるものを、と席を立って館内を探し歩く。

 

相撲は観戦そのものも良いけど、力士にちなんだお土産や

お弁当だったり、相撲協会のポスター、力士とキャラクターの

コラボ商品なんかを見てまわるのも結構楽しい。

 

通常、大関以上になると企画販売される弁当。この日は勢スペシャルも!

 

ご実家が寿司屋、国技館内でも寿司をプロデュースした勢

 

今日でなくても多分売っている、かつサンドが美味しそうで

買ってしまったが、

席に戻ると、いよいよ断髪式開始のアナウンス―――

 

土俵にはレッドカーペットが十字に敷かれている。

 

はさみを入れるゲストは、250名とのこと。

人数が多いので、切るというよりは、髷の襟足の部分からほんの少しずつ、

たぶん一人当たり、切っても髪の毛数本か。

 

赤いカーペットの十字がクロスしたあたりに、椅子が置かれ、

主役、勢が土俵に上がる。

紋付袴姿は土俵の上で、なお大きく見えた―――

 

 

ついにこの時が来てしまった、と思う。

今や土俵中央の椅子に座り、ハサミを待つのみになった本人の気持ちは

いかばかりか。

 

250名によるハサミ入れが始まった。

NHK大相撲の担当・藤井アナウンサーによって、ゲストは名前と肩書き、

もしくは勢とのつながりを紹介される。

一人一人土俵に上がり、中央にいる勢の背中側に立つ。

 

脇に立っている行司さんから受け取ったハサミを、

勢の髷に遠慮がちに少し入れる。

そして、本人の肩や背中に手を置いたり、二言三言、

何か声をかけて、土俵を降りる。

 

この繰り返しが250名分、続く。

お時間はかかります、とのアナウンスはあったものの―――

 

次のゲストの名前が呼ばれるたびに、こちらは、

芸能人じゃないかとか注意深く聞いたり、

(親しくしているという俳優・谷原章介さんが来たときは

その礼儀の整った様子に心打たれた)

オペラグラスで本人の表情をのぞいて見たり

(これではっきり見られたおかげで、スマホで倍率限度

ギリギリで撮った写真も、後に判別できた)。

2時間ほどが、意外とあっという間に進んでいく。

 

ハサミ入れのゲストは、会社社長や芸能人、スポーツ選手、

学校や病院の先生方から、

より個人的な接点の方々に変わり、

そしてついに、相撲協会関係者や勢の親族へ―――

 

同じくおととし引退し、先月ようやく断髪式にこぎつけた宮城野親方(元横綱白鵬)、

前日の6月4日に髷を切ることができた、鶴竜親方

(元横綱鶴竜)も駆けつけてくれたのだけど―――

 

順番が来て名前を呼ばれたのに、なぜか出てこない鶴竜親方。

鶴竜親方は昨日断髪式だったので、ご挨拶にまだ忙しいのかもしれません」

などと、とっさに機転を効かせる藤井アナウンサー。

 

結局、スタンバイしていた宮城野親方が先に土俵に上がることになり、

あとから、スミマセンという感じでマイペースに登場した鶴竜親方。

こんな日頃の流れと人柄を感じさせる展開も、また微笑ましい。

 

はさみを入れる宮城野親方(元横綱白鵬

 

横綱白鵬への憧れが強く、塩のまき方や仕切りの所作も、

ときに大げさに見えるぐらいコピーしていた勢。

横綱には連敗を喫したものの、たった1度勝てた金星の一番を

「いい相撲」と振り返っており、

その必死な当たりは、私たちファンにとっても大切な思い出だ。

 

そして、勢の弟弟子である錦木。

部屋頭として、後輩として、この日に向けて気力を充実させてきたのだろう。

先場所の土俵では、持ち味である腰の重さと地味な中にも技のキレを見せ、

9勝を挙げた。

今日は式典前に髪結いの実演モデルにもなり、忙しい一日だ。

 

来場所も活躍が期待できそうな錦木

 

どうしても写真を載せたくなったのが、

先場所、膝の手術による3場所の休場を経て、優勝をとげた横綱照ノ富士

場所中の土俵上では、あの白鵬や、前の朝青龍にも劣らない

鬼のような表情を見せるが―――

何て優しいんだろう。

土俵上の声は聞こえないが、想いの伝わってくる手の触れ方である。

 

同時代に観戦できる幸せを感じさせてくれる、横綱照ノ富士 

 

ご両親も、土俵の髷姿の息子に最後の挨拶をした。

大阪でお寿司屋さんをされているお父様は、堂々として背の高い方だ。

お母様は、少しふくよかでお元気そうな感じの方。

 

相撲は1場所15日間とはいえ、1日の取組(試合)は

1人あたり短ければ数秒、長くても3分もあれば終わる。

 

でも、何年か見ていて思うのが、その数秒の中でも

力士は互いの頭で当たり合ったりして、かなり命がけだということだ。

(髷で頭を守っている、という話もあるけど、お互いの体重から

かかる力を考えると、時にそれは不十分かもしれない)

 

鼻血なども珍しいことではないし、技の一つとして突き出した手が、

相手の目に入ることもある。

 

力士のご家族は、息子の活躍を祈りながら日々を過ごし、

またそれは同時に、無事を祈る歳月でもあったと思う。

 

勢も、16年間やってきた中で、満身創痍だった。

足がどう見ても動かなそうなのに休まなかったときは、

お願いだから休んで、と画面に向かって何度思ったか。

連続出場記録、1090回。

とにかく出続けることが自分である、というように

土俵に立ってきた―――

 

www.nikkansports.com

 

今日は涙をこらえているのかもしれないが、

真一文字以上にぎゅっと結んだ口にも、

その長年の踏ん張りが、刻まれているような気がして仕方ない。

 

最後に師匠である伊勢ノ海親方から、止めばさみを入れてもらった勢。

 

16年の現役生活。

人生の半分近くを共にしてきた髷との別れ。

頭は確かに軽くなるけれど、寂しくないと言ったらウソだろう。

 

大いちょうが切り取られた、幕末の藩士みたいなこの姿も

いいなとながめていると、

「愚直に16年やってきたからこその、今日のこの快晴だと思います」と

伊勢ノ海親方が会場に向けて挨拶した。

 

終わってしまうと、半日のこのイベントも、

私が応援してきた8年間もあっという間だ。

 

だけど、その師匠のぼくとつだけど響く言葉を聴けて、

師匠の隣に立ち、ともに実直に頭を下げる勢を見て、

会場から飛び交う、「勢~」「春日山親方がんばれ」の声を聴いて、

思い直す。

 

これは私の、この会場にいる皆の、大切な思い出になる日だ。

そして引退発表をしてからのこの2年、すでに春日山親方だった勢の、

新しい出発の日だ。

 

ありがとう、勢。

 

この場に居られたことにも、本当にありがとう―――

 

花相撲を見つめる子ども。未来の勢になるのかも?

 

Newヘアスタイルの春日山親方に集う、国技館のにぎわい

 

そういえば。

最後を飾ったスペシャルゲストは、角松敏生さんでもTUBE前田さんでもなく、

演歌の大御所・山本譲二さん。

勢が憧れていた方ということで、デュエットもできて幸せそうだったので

良かったかなと。

 

もう一人、サプライズで登場してくれた平原綾香さんが

とにかくExellent!! だったので、またどこかで書けたらと思います。

 

では、本日はこれにて打ち止め―――

 

ご一緒くださって、ありがとうございました。

 

 

 

お題「〇〇が実は大好きです!」

 

 

この空の向こうに⑩ ~高校時代とヴェネチアに橋をかける友

 

台風の気圧に圧倒されながらの、6月のスタート。

なぜか、高校時代の友人との時間と旅の記憶が

思い出されたので、書いてみたい。

 

ーーー記憶が始まるのは、高校を決めるときから。

その頃には私は、海外への憧れがあり、

交換留学制度のある私立も考えたが、結局、地元の県立高校に収まった。

 

ブラスバンド部の活躍ぶりに興味を持ったが、

体育会系な雰囲気に気後れした。

そして、クラスの中で楽しい友人たちに出会えて、

結局、彼女たちと共に“帰宅部”になったのだった。

 

人との出会いは、時に、場所を選ばないのかもしれない。

 

川沿いにあって、陽当たりと風通しだけは抜群の、

平和極まりないその県立高校で、

たった1年、同じクラスだった3人の友人———

 

三人三様に大人びていて、他の子たちと違う、独特な育ち方をしていた。

それぞれ私の人生のページに個性的な足跡を残していったし、

今になってみると、当時の私の、これからこうなりたい、

と描いていたイメージを、さらにカラフルに色づけてくれた存在だった。

 

映画を見たければハガキを書く

 

友人Yは、年の離れたお姉さんの影響で、ちょっと気取った

話し方をしたり、

インターネットもなかった当時から、海外の映画スターの

情報通だった。

Yから教わったのが、映画をタダ同然で見る方法だーーー

 

ある日、彼女は、上映前の “プリティウーマン”のチラシを

誇らしげに学校に持ってくると、

休み時間にハガキとカラーペンを、私たちに配った。

 

「はい、これと同じように書いて~ ギア様を見に行こうよ」

と、笑顔で渡された宛名の見本には、“映画試写会係 御中”とあった。

 

私たちは、ギア様(リチャード・ギア)を見たい一心のYの趣味に、

ボランティア協力させられながらも、結果的に当選。

 

ハガキを何枚か書けば、スクリーンで映画を見られる

(こともある)と体感できた。

アナログな方法だったが、欲しいものを得る方法は、

単にお金を払うことばかりではない、

楽しく賢く手に入れたらいいのだ。

 

彼女からは、どういう文脈でそんな話になったか、

思い出せないのだが、

“私、将来は養子が欲しいんだよね”という話も聴いた。

 

これは、私の価値観にもとても響いて、今でも残っていることなので、

またあらためて書いてみたい。

 

ロシア語だって練習すればいい

 

学区外からわざわざ電車通学してきていた、友人A。

音楽一家に育ち、彼女自身もバイオリン奏者を目指していたが、

あえて高校は普通校でのんびり学生時代を過ごしたい、と

本人の希望で、このおだやかな県立校を選んでいたように思う。

 

うちの母は、彼女に初めて会ったとき、

同じ歳にしては言葉遣いがすごい、と圧倒された。

 

日本語の言葉遣いだけでなく、すでに英語も操っていたAは、

ロシア語にも興味を持っていた。

 

面白そうだね、と私が言うと、翌週にはロシア語練習ノート

なるものを買ってきてくれた。

地元の本屋では全く見ないような、専門の研究者が執筆した、

歴史がありそうなノートには、五線がプリントされ、

記号のような文字が繰り返し練習できるようになっていた。

 

おそらく私のやる気が続かなかったのと、彼女が音楽の

レッスンで忙しくなったことで、

ロシア語文字練習は内容が思い出せないほど、わずかな期間で

終わっていったが、いま思うに、そんな趣味に誘ってくれる

クラスメートは凄すぎた。

 

その後もAからは、目からウロコのノートの取り方や、

聞いたことのない本を教えてもらったりした。

 

Aは世界を学び、自分の未来を作ろうとしていた。

 

お土産は、世界の歴史

 

もう一人の印象的な友人といえば、Fだ。

ジャニーズが大好きでよく振付をコピーして踊っていたり、

身体能力が高く、会話の回転も早い、ひょうきんな子だった。

 

そんな彼女からもらった意外なお土産を、私は忘れることができない。

 

冬休みの後だったと思うが、Fが私たちの手のひらに

一つずつリズムよく配っていったのは、小さな石のかけらだった。

 

もらった石はそれぞれ、3、4センチ四方。

遺跡から出土したというには新しく、工事現場で拾ったと言われても

わからなそうだ。

コンクリートのような素材で、大きさと形は少しずつ異なっていたが、

何か文字が書かれた石板が割れたような感じだった。

 

「それ、ドイツ土産」と、Fは何の気負いもなく笑顔で言った。

 

―——ベルリンの壁なのだという。

 

私とYは「へぇ~、すごいじゃん」と一様にうなるばかりだったが、

さ歴史に詳しいAは、現地の状況はどうだったのかなど、

Fに食らいついて聞いていた。

 

東西ドイツを分断していた壁が打ち砕かれたのが、

ちょうどその前年ぐらいだった―――

 

Fは親御さんが科学者か何かだから、興味深い教育を受けて

きたのかもしれない。

卒業後、ダンス留学をしたいとか、したとか聞いた記憶がある。

 

 

雨のヴェネチアでの再会

 

3人の中でその後、私が再会できたのは、Aだった。

 

てっきりロシアへ音楽留学するのでは、と思われた彼女だが、

縁あってイタリアで学び、さらなる縁で現地の人と結婚もしていた。

 

2015年に私がヴェネチア観光することになり、連絡を取ったところ、

Aは冷たい雨の中、小さな子どもを連れて、船に乗って会いに来てくれた。

私たちは明るい雰囲気のレストランで食事をした。

 

当時Aはすでに、イタリア在住20年ほどになっていて、

現地で演奏活動を続けていた。

 

目の前のAは、Aではあるのだけど、そこに居ることが

すごく自然で、落ち着きが感じられた。

 

相変わらず、目立つようなものは身に着けていないけれど、

学生時代ショートだった髪が豊かに伸ばされていた。

 

黒髪を箸一本でゆるやかにまとめ上げ、シンプルな黒いワンピース姿。

手元に彼女の楽器があれば、もうそれ以上のものは必要ないのだ、

という気がする。

 

Aが、高校時代にこまごまと一人、熟成させていた世界への関心。

それをおそらく、イタリアでの生活や他の国々の音楽仲間を通して、

対等に語れるようになったのではないか。

彼女自身の存在が、この地で大きく肯定されたのかもしれなかった。

 

子どもは5、6歳ぐらいの女の子で、とても愛らしかったが、

私とAが話していても、割って入ってきたりせず、

Aも時折、娘に話しかけながらも、必要以上かまうことなく、

私との話に集中していた。

 

 

私たちは、高校時代の話もした。

YやFはその後どうしているか、という話にもなったが、

ヴェネチアのレストランでは、その話は何か遠い感じがした。

 

私も、高校の頃から海外生活への妄想は捨てていなかったが、

まだ踏み出せていない自分の話も少しした。

 

Aは「そうなのね、人生いろいろあるわよね」

と軽くうなずいて言った。

 

「でもまあ、またこっちに来ることがあったら連絡してね」

 

もちろん彼女は私に日本語で話しているけれど、その言葉は

彼女らしく、明らかに小気味よくドライなテンポを刻み、

途中でいつイタリア語に切り替わってもおかしくなさそうだった。

 

それは、私には何だか寂しくもあったが―――

 

船の時間がきて、「じゃあ、またね」と店を出たAを見送った。

 

外はまだ雨だった。

夕暮れ時の冷たい空気の中、Aは小さな娘と傘をさして歩きだした。

私が後ろから写真を撮ると、少しおどけて、娘と一緒に

こちらに手を振った。

 

なつかしいのに、いろんなことが記憶から抜けていて―――

この国をホームとして選んだ友人Aは、私との会話では

その理由だったり困難については、

ほとんど話さなかったし、私もうまく聴けなかった気がする。

 

それでも、彼女と娘が帰り道、ヴェネチアの、昔は宮殿か何かだった

壮麗な美術館の前を歩いていく姿は、私の中で何度も思い出される。

 

彼女はもうあと100mも歩けば、イタリアの古都の街角に

溶け込んでしまう。

 

だけど今でも、その背中はすっきりと潔く―――

在住20年そうして歩いてきたし、明日も歩いていくことを

見せてくれるのだ。

 

 

*長文読んでくださり、ありがとうございます。2部構成も考えましたが、記憶の中でどうも分かち難く、このようなスタイルになりました。