narrative voyage ~旅と今ここを見つめて

多様な世界を感じるままに。人が大切な記憶とつながっていくために。

声を出すということ① 朗読劇の練習役になる~「父と暮らせば」

新しい体験に飛び込む

3月の初め、仕事に疲れてぼーっとながめていたSNSの画面に、

こんな一文を見つけました。

 

「芝居のト書き読みを手伝ってくださる方、急募」

 

以前読書会でお世話になった、Ping-Pong Base の瀧澤有希子さん

(ゆきさん)が、4月に朗読劇を上演予定とのこと。

 

本番で“ト書き”読みを務める役者さんの代わりに、

稽古の中で読んでくれる人を、募集していたのでした。

 

“ト書き”が何のことやら、上演する作品「父と暮らせば」に

ついても、全く知識ゼロ。

 

それでも、

「経験は問いません。芝居に興味ある方、

どんな風につくるのか見てみたい方、ぜひ!」という、

ゆきさんの明るい投稿に、

「それ、私のことだ」と、即行で手を挙げました。

 

ト書き(とがき)とは、芝居やドラマの脚本の中で

登場人物のセリフ以外に、人物の動きや周囲の状況を

表している文章のこと。

 

「太郎、玄関より入ってくる」「外で犬の鳴く声がする」など、

テレビドラマを副音声で観ると、聞こえてきたりもする、

状況説明的な文章です。

 

今回の上演作品「父と暮らせば」は、作家・井上ひさしによる

戯曲で、登場人物はシンプルに父娘二人。

 

まず3月上旬、娘・美津江役のゆきさんと、

父・竹造役の俳優・安原昇さんがZoomで稽古をされるとのことで、

そこにト書き読みとして参加させていただくことになりました。

 

物語の舞台は、終戦後の広島。

原爆を生き残った娘・美津江のもとに、父・竹造がやって来て

娘の恋を応援する、というストーリー。

でも、大切な周りの人たちを原爆で失った美津江の心は

揺れ動き、父もまた、実はこの世の人ではなく―——。

 

一般的な戯曲は何ページほどか分からないけれど、

この「父と暮らせば」の戯曲は、作者・井上ひさしのあとがきを入れても

100ページほどの文庫本で、正直、最初手にしたときはホッとしました。

井上ひさし 『父と暮せば』 | 新潮社

 

言葉を声に出すということ

ゆきさんたちには、私は初心者として受け入れていただいて、

いざZoomでの読み合わせスタート。

 

ト書き(私のパート)

「音楽と闇とが客席をゆっくりと包み込む。

しばらくしてどこか遠くでティンパニの連打。

遠方で稲光……

今は昭和二十三年七月の最終火曜日の午後五時半。

ここは広島市、比治山の東側、福吉美津江の家……」

 

ト書きの描写が淡々と長く続いて、緊張はするけど。

この最初のパートが、お客さんが初めて目にする

舞台の説明なので、とても重要。

 

声に出すだけでも、自分の言葉(実際は作者の言葉)が

情景を作っていく。

芝居の幕開けの、スリリングな感じがいい。

 

無事、ゆきさん、安原さんのセリフも始まり、

父娘の予想以上の軽妙なやり取りに驚く。

原爆がテーマながら、コミカルさも盛り込んできているからすごい。

 

井上ひさし、さすが劇作家。

描写は時に慎重ながら、頭に浮かぶまま楽しく書き進めていたのではないか。

 

私のほうは、さらに読んでいくと、日本語なはずなのに

何だかわからない単語が出没。

 

読みがわからない単語、

読みをわかっても意味がわかるか怪しい単語。

 

美津江が持っている「木口の買い物袋」とはどんな袋か。

竹造が肩を叩いている「火吹き竹」とは何か。

 

バラックに毛が生えた程度の簡易住宅」「オート三輪のエンジンの音」なども

時代的に、もう想像するしかない。

 

舞台上の説明なので、

「下手から順に、台所、折り畳み式の卓袱台を置いた

六畳の茶の間…」などと読むものの、自分の頭の中では配置が浮かばず。

考えながら読むと、かえってつっかえる。

 

日本語でも、分からないまま発せられた単語や文章は、

宙に浮いたように力を持たないのだとよく分かる。

 

そんな中、広島弁で綴られたセリフを生き生きと語り、

物語を作り上げていく、ゆきさんと安原さん。

 

特に、社会人劇団に所属され、現在はセミプロとして活動、

半世紀近い芸歴をもつ安原さんの声は豪快で、

オンラインでも役者魂がビンビン伝わってくる。

 

ゆきさんも、今回5年ぶりの再演ということで、

その喜びが響いてくるよう。

ご本人の背筋が通って凛とした感じも、美津江像の

魅力になっていきそうで…

 

二人の声に聴き入って、自分の出番(読むタイミング)を

見事に忘れる、という事態も発生。

 

でも、それも含めて稽古を楽しませていただいて、

自分も、声を出すことの気持ち良さ、

聴いてもらうことのありがたさを思い出した

“ト書き読み”体験でした。

 

理由はないけど、なぜか心が決まっていること

今回面白いと思ったのは、

何かの募集を見つけたときに、

それに対して自分が

「それ、自分のことだ」と反応して、

即、手を挙げる時があること。

 

反応から手を挙げるまで、“考え”というものがない。

“理由”も存在しない。

なぜかわからないけど、自分の腹の底が、もう、

「やるから」と決めている。

 

普段は結構迷い症だけど、

たいてい、そうして始まったことは

自信と楽しさを持ってやることができて、

後に体験としてすごく自分を支えてくれるものになる。

 

40年の人生の中でも、まだ数回のみのそんな流れが、

ずっと置き忘れていた朗読という世界で、起きてくれた。

これからの楽しみが詰まっている予感がしています…!