narrative voyage ~旅と今ここを見つめて

多様な世界を感じるままに。人が大切な記憶とつながっていくために。

この空の向こうに⑤ 雨の朝、ボサノバが流れる理由

 

アートも音楽も、非力だ———

朝から目の前の新聞を見て、思う。

 

スーダン停戦守られず”  “人道状況の悪化懸念”

ウクライナ侵略14ヶ月”  “豪、抑止力強化へ”

“食糧高騰”  “生成AI偽情報の脅威” ……

 

見れば見るほど、世界はどうなるのかと思う。

 

だけど今朝のこの部屋には、そんな新聞の記事なんて、無いものとするぐらいに、

さっきから、ゆるゆると流れていく曲があった。

「三月の水」クァルテート・ジョビン・モレレンバウム

 

こんな曲が流れた日には、非力どころか、“力”の文字も見当たらない空気が

満ちていく。

 

ゆるさに笑顔で"いいよ"と言う、この南の風と太陽の音楽と、

険しくいがみ合い、引き返せなくなった国々と社会の混沌。

並べてみることがそもそも無意味かもしれない。

 

今日の朝、たいして意識もせず自分で選んだこのボサノバは、

今の世界を伝える目の前の活字と、ちょうど対極にあるのかもしれなくて。

「バラに降る雨」 アントニオ・カルロス・ジョビンエリス・レジーナ

 

もしかしたら。

張り詰めたままでは

この世界は、破裂してしまうかもしれないから。

 

だから、こじつけだとしても、

今日も地球のどこかで誰かが、

こんなふうにギターを弾いたり、歌を歌ったり、

誰かがちょっとその傍で、浮かんだ詩みたいなものを

その人なりに書き留める。

 

そうしてゆるく息をついていることは、

ものぐさでも贅沢でもなくて、私たちが必要なことだから―——

 

朝からいろいろ巡らせてしまったけれど、

当のボサノバは、何も失わず、たおやかに、ゆらゆらと流れ続ける。

 

人の作ってきたもの、歌ってきたものは、

どこかでこの世界をゆるめ続け、バランスをとっていく。

きっとそうだと思っている。

ソルテ」 セルソ・フォンセカロナウド・バストス・ポラロイデス

 

お題「雨の日に聴きたい曲は・・・?」