アートも音楽も、非力だ———
朝から目の前の新聞を見て、思う。
“スーダン停戦守られず” “人道状況の悪化懸念”
“ウクライナ侵略14ヶ月” “豪、抑止力強化へ”
“食糧高騰” “生成AI偽情報の脅威” ……
見れば見るほど、世界はどうなるのかと思う。
だけど今朝のこの部屋には、そんな新聞の記事なんて、無いものとするぐらいに、
さっきから、ゆるゆると流れていく曲があった。
「三月の水」クァルテート・ジョビン・モレレンバウム
こんな曲が流れた日には、非力どころか、“力”の文字も見当たらない空気が
満ちていく。
ゆるさに笑顔で"いいよ"と言う、この南の風と太陽の音楽と、
険しくいがみ合い、引き返せなくなった国々と社会の混沌。
並べてみることがそもそも無意味かもしれない。
今日の朝、たいして意識もせず自分で選んだこのボサノバは、
今の世界を伝える目の前の活字と、ちょうど対極にあるのかもしれなくて。
「バラに降る雨」 アントニオ・カルロス・ジョビン & エリス・レジーナ
もしかしたら。
張り詰めたままでは
この世界は、破裂してしまうかもしれないから。
だから、こじつけだとしても、
今日も地球のどこかで誰かが、
こんなふうにギターを弾いたり、歌を歌ったり、
誰かがちょっとその傍で、浮かんだ詩みたいなものを
その人なりに書き留める。
そうしてゆるく息をついていることは、
ものぐさでも贅沢でもなくて、私たちが必要なことだから―——
朝からいろいろ巡らせてしまったけれど、
当のボサノバは、何も失わず、たおやかに、ゆらゆらと流れ続ける。
人の作ってきたもの、歌ってきたものは、
どこかでこの世界をゆるめ続け、バランスをとっていく。
きっとそうだと思っている。
「ソルテ」 セルソ・フォンセカ & ロナウド・バストス・ポラロイデス