narrative voyage ~旅と今ここを見つめて

多様な世界を感じるままに。人が大切な記憶とつながっていくために。

Void, Reset, Unplugged...! 無に返しても今はいい

 

朝、起きて床をぼーっと眺めると、

部屋中あちこちの電源コードが抜けて、

ぐるぐると所在なさげにうずまいていた。

 

夜中に誰かが抜いたわけではなく、

この数日自分で少しずつ抜いて、こうなったのだった。

 

ささっているのは、急な暑さで出してきた扇風機ぐらいなもので、

日頃、音楽や動画視聴に忙しい2台のスマホのコードさえも、

抜けたままだ。

 

“Unplugged”(アンプラグド)

というと、電気を用いない楽器による音楽であって、

いつもなら、私の頭の中では自動的に、

エリック・クラプトンが “Change the World” の

弾き語りを始めてしまうのだが―――

 

今朝は何の音楽も、私の中には始まらなかった。

明るい太陽の光が差し込む部屋の床に、無為にうずまくコードの集積。

―——Unplugged

単純には「プラグを抜いた」という意味なんだよな、

そう確認したような瞬間だった。

 

先週末、急に熱が上がって、念のため病院に行くと、

コロナ陽性が判明し、この数日、半分以上寝ているような生活に

なっていた。

 

だから、日頃使っていた家電の使用量もおそらく減って、

電源コードも抜いていたのだと思うが、

それにしても、抜けっぷりが印象的で―——

この “Unplugged” の状態は、自分自身であるようにさえ、思えた。

 

週末からおとといあたりまで、

熱と、のどに石でも突っ込まれたみたいな異様な痛みと

対面してきた。

 

それが取れ始め、今朝起きたときには、

寝すぎによる身体の凝りはあるにしても、不思議と何だかすっきりしていた。

まだ咳はあるものの、あの熱が出る前日のように、

もしくはそれ以上にすっきりしていて、再生された感が強く―――

 

全体的には、自分は “reset” されたんじゃないか、

ぐらいに感じた。

 

それと同時に、今日は

“Void”(ヴォイド =無効にする、空っぽ)という行動、感覚も味わうことになった。

 

 

今週末から実は、車いすの人の移動支援を学ぶ「ガイドヘルパー講座」に

参加予定だった。

だが、こんな直前にコロナになってしまったことで、

さすがに終日がっつりの受講は厳しく感じられ、

受講キャンセルの連絡をせざるを得なくなった。

 

先方は、会場での受講にはなるが、希望があれば別室での参加も可能

と配慮も申し出てくれたが―――

もしそこに出向いたことで、また体調を悪化させるようなことは

避けたかった。

 

せっかくここまで、仕事の繁忙期を縫って食事づくりや買い物など

やってくれた家族にも、大迷惑がかかる。

 

研修費用の半額がキャンセル料としてかかってきてしまうし、

同じ条件で参加できる次のチャンスは9月、と何だか遠いが、

もう仕方ない。

本日、思い切ってキャンセルのご連絡をした。

 

“Void”という、期限切れのパスポートの穴ぐらいでしか

見ないような単語が、急に頭の中で大きくなって流れた。

(あの小さいパンチ穴で書かれた “Void” は、行政的には「無効」の意味だろうけど、

「空っぽ」「空虚」を指す言葉だから、なかなかシュールだ)

 

当面2週間くらいは、体調の安定までかかりそうだし、

家族の繁忙期も続く。

家か、散歩か、ぐらいの生活になるかもしれず、

しばらく、Voidで、Resetされて、Unpluggedなのかもしれないが―――

 

4月に車いすの友人を東京案内させてもらって、とても喜んでもらえた。

その流れで申し込んだはずの、ガイドヘルパー講座が

こんな予測外の流れで、自分で見送らざるを得なくなる。

 

残念な気持ちもありつつ、それを上回るのは

“これは一体、何を意味しているのだろう?” という問いで―――

自分でも驚いている。

 

“Void”は “Void”で。

突然、渋いことを言い始めるようだけど。

一旦、無に返すことも次への布石、と思うことにしても

いいのかもしれない。

 

 

本日のトップ写真は、スマホの時計表示画面の様子。

これまでパリのカフェ写真が設定されてたのに、コロナ陽性判明を境に、

なぜかブラックアウト?中。