narrative voyage ~旅と今ここを見つめて

多様な世界を感じるままに。人が大切な記憶とつながっていくために。

ペースとスペース ~近くても分かり合えない存在について 

 

今日はもともと書いていた記事があったのだけど、

家で気の休まらないことが発生したので、

それについて書いてみようと思う。

 

この1ヶ月、ブログを始められたり、大切な出会いがあったり、

良い展開はいろいろ起きた。

今後続ければ、仕事に発展するかもしれないものも見つけた。

 

しかし、現時点では目に見えるような仕事をしていないので、

同居の父親に苦言を呈されたところの、本日、5月の日曜日。

 

人生の半分以上を、寝るか仕事か、ぐらいの勢いで

働いてきた父。

仕事はご縁で、転職ありきの働き方をしてきた私と、

長年、反りがあわず―——

 

今日もまた、“人間、仕事はしなきゃ生きていけないんですよ”、と

“我慢しながら” 働いてきた話を延々とされ、

一体どうするつもりか、今後の展望を聴かせてくれ、

と言われる週末になってしまった。

 

こういう話の持っていき方をされると、自分の本当にやりたいことなど

この人には言えないと思ってしまう。

 

一度、思い切って話をしたときに、

その働き方とその貯金(の少なさ)で、どうやってやるんだ、

できないだろ、と鼻で笑われたことが、

心のあざとして残っている。

 

答えが返せないでいると、

「そんな世の中、甘くないんですよ」

「そんなんじゃ、どうにもならないですよ」とくる。

 

“どうにもならない”…!

 

毎回、型押しのように言い捨てられる、このネガティブワードがつらい。

 

父は心配のつもりで言っているとしても、

言われるほうは、苦痛以外、何物でもないし、

この言葉がどれだけ、父自身のエネルギーも下げているか。

 

このワードの危険性を、私なりに本人に話してみたこともあった。

でも、素通りされてしまったようだ。

 

この数年、父も体調の変化等いろいろあって、昔よりは怒鳴ることも減った。

 

私も、考えてみたら、人生倍生きている人に対して、

太刀打ちしようとするのが無理だし、エネルギーの無駄だと思い始めて、

同じ土俵からできるだけ降りることにした。

 

だけど、昔から続く、この“仕事問答” には解決の道も、

和解の光もなかなか見えない。

 

物心ついた頃から、父とは日常でのコミュニケーションが皆無なところに、

母への高圧的な態度や、残念な物言いの記憶もかぶり、

恐れしかなかった。

そんなところに、人生の話や、仕事の話をオープンにできる空気は

育つのが難しいのかもしれない。

さびしいけれど、そう感じる。

 

この1、2年、自分なりに居心地がよくなればと

断捨離をしてきて、

昨年末あたりに思ったのは―——

“同居自体が無理なのでは?”

と、いうこと。

 

最近、自分のペースを大切にしたいときに

“スペース” が大事になってくる、

という話を聴いたところでもあり、考えさせられる。

 

戦乱や災害にあっている人たちのことを考えると、

相当ぜいたくな悩みかもしれないけど。

 

ドラマ「ブラッシュアップライフ」の登場人物のように

生まれ変われる前提はないとしても。

 

どこで、誰と生きていきたいか。

1回の自分の人生、スペースは自分でつくる―——

そのための選択のチャンスは、ドラマ同様、まだあるのかもしれない。